助手席に乗り込んで街を眺めると、久しぶりの景色は、相変わらず昭和の地方都市のような雰囲気を残していた。車窓から流れる景色を見ながら僕はとりとめのないことを想い出していた。唐突に曽祖母、國分雪乃(こくぶゆきの)の顔が思い浮かんだ。僕の少年時代に亡くなった曽祖母は仏教の行者みたいな人で、毎日、朝に夕に、家の法座に正座し熱心に読経をする先祖供養をしていた。
「昭祐、因縁というのはね、満州まで行ったって逃げられるもんじゃないんだ」
それが曽祖母の口癖だった。もうとうに満州なんて国はないのに。というか、ひいおばあちゃんの世界地図の一番端は中国東北部なのか。そんなことを子どもながらに思ったものだった。
やがてタクシーは幹線道路に入り、ヤンゴン市民の憩いの場であるインヤー湖の傍を走り抜けた。カップルや家族連れが湖畔の芝に寝転んでいる。車道からは土手が壁となって水面は見えないが、平和な空気感は伝わってくる。
そもそもなんで自分がこんなアジアの片隅に来ているのかといえば、一ヵ月ほど前、あのときもちょうど東京の荒川で似たような風景を見ていた時に、唐突に鳴った電話がきっかけだった。
かつてのNPO仲間、長谷川和代(はせがわかずよ)から連絡が入ったのは、この夏の終わりにミャンマーへの短期出張に行ってきた直後だった。