【前回記事を読む】彼女の30歳の誕生日前夜なのに、オレはハメを外して飲み歩いていた。彼女からの連絡にも対応せず、結局朝まで飲み明かし…

1 始動

荒川 2011年

久しぶりに実家に帰り、居間の天井を見上げ電球の紐を見つめ、思い返す。

小学生の頃、私の身長は前から数えて2番目か3番目を行ったりきたりする少年だった。

とりわけ母親は170センチ近く身長があったため、まあ何事もなければソコソコ大きくなるなとは、小学生ながらも思って過ごしていた頃、あの紐に何百回とオデコを当てて、ヘディングの練習をしていたことか。

時にはオデコで叩いた紐が勢いよく電球の傘に跳ね上がり、傘の裏に入り込んでしまい大量の埃を落としては、姉や母親に怒られるのは日常茶飯事で、東京ドームで名前も知らないジャイアンツの2軍選手が投げ入れたファンサービスのサインボールも、ヘディングの練習として、真上に投げては自らオデコで打ち抜くという練習の犠牲になっていた。

まあ、産まれてから、オデコが人よりも広い私は、みんなが嫌がるヘディングを率先してやり続ける。馬鹿の一つ覚えだ。

私の地元には少年サッカーチームがなく、幼馴染が入っていたという理由で始めた少年野球だが、一番好きなスポーツはサッカーで、時代は90年代半ば「アジアの大砲」に憧れて、毎日牛乳を飲んでは腹を下していた小学生時代。世は空前のJリーグブームだった。

私もそこら辺の男子と同様に「将来の夢はサッカーの強い高校に入学してプロのサッカー選手になりたいです!」なんて卒業式の壇上で叫んでいたが、今考えてみたら、お尻が痒くなるほど恥ずかしく、小学生らしい。