【前回記事を読む】ALSになった俺に、「あなたを受け入れられる部署はない」…10年以上働き続けた俺に会社が下した言葉。

2 退化

慶応仲通り 2013年

アユに仕事を辞めると打ち明けた頃から、二人の関係がギクシャクしてきた。

言い争いが絶えない日も続き、毎日のように一緒にいた日々もいつの間にかなくなり、アユは実家に帰ってると、連絡が来る日も増えていた。

私はアユとの時間を大切にしようという思いも、頭の何処かに有ったのだろう。

仕事を辞めてから一緒に旅に出ようと考えていた。

そのことを伝えたところ、「一人で行ってきなよ」と素っ気ない返事が返って来た。

その一言が影響したのかは定かではないが、より一層どうでもよくなった。

身体は動かしにくい、心理的影響なのか呼吸も浅くなり始めたと感じるし、 自分のメンタルの着地点が分からなくなった私。

8月末に退社が決まってからの、残り約1ヶ月は会社にも顔を出さず、自暴自棄というのか、廃人となっていた。

18から働き出した会社は、30になる月まで続けたものの、最悪なカタチでエンディングを迎えた。

今思うと会社や売場、上司や後輩に、迷惑を掛けてしまったと悔やんでも悔やみきれない。

綺麗に終えることができなかった私に、今でもムカついているし、ケジメをつけられなかった。毎週のように飲みに誘ってくれたバイヤーにも、御礼の言葉が言えぬまま、今日に至るまで連絡出来ずにいる。

こうして退職していった私は、会社に言われた通り、ハローワークへ向かい失業保険の手続きをする。

せめてもの優しさだったのだろうか。

自己都合ではなく、会社都合での退職という形を取って頂き、障がいでの退職というカタチも相まってか、通常の失業保険の給付期間よりも更に長い間、給付して貰えることになる。

9月

私は一瞬、舞浜?と見間違えるような街にいる。 タクシー乗り場で雑談している運転手が、私に気が付いたようだ。

「めんそーれ」

と発せられた言葉は生ぬるい風に乗り、 私の視界と喉にまとわり付いている。