23区内では下町で路面電車が走る街、隅田川沿いの全生徒数200人弱という小学校の、東京にしては小さい街で育まれた私の大きな夢。

一応、サッカーの強い高校に進学は出来たので、半分は叶ったといえば叶った。

2011年3月、中学校時代のサッカー仲間と、フットサルの大会に出場することになり、ぶっつけ本番で挑むことになった。

「タケも仕事の合間を縫って来てくれるからさ。ケンイチも来てよ!」

三年前に右指の違和感を覚えてから、まるっきり運動をせず、気の持ちようなのか、疲れが取れにくいと感じるようになり、フットサルの誘いも断っていたが、今回ばかりは人数が足りないということで、参加することにした。

この三年で右指は更に衰え、辛(かろ)うじて箸は持てるものの極力フォークやスプーンを使用することが増え、外食の際も和食を選ぶことが減り、洋食が多くなり体重も、この三年で5キロ増えていた。

インディーズレーベルの社長の「いい年でガリガリだと、貧相だよ。若いうちはスリムがモテるかもしれないけど、ある程度いったら少しぽっちゃりの方が裕福そうでモテるって」

という言葉に、感化された28歳、目標体重まで残り15キロ。

会場に着き各々が着替えを始め、久しぶりに仲間と集まり、自然にみんながグラウンドに広がり、誰が声を掛けたでもないなかで、パス練習が始まる。仲間が近況を報告するなかで、私はまだ、体調の変化を誰にも言えないでいた。

いや、一度、当時流行っていたSNSの日記に書き込んだことがある。2010年の初めだったか。前年の大晦日、一年を振り返り、無性に不安になったあの日。右手で持てなくなってきたタバコを見つめていたあの日。布施明がマイ・ウェイを熱唱していたあの日。あの日を境にゆっくりとだが、カミングアウトしていこうと思い始めることが出来た。

しかし私の小さな叫びは、一年も経てば掻き消されてしまうものなのか。書き込んだ当初は心配の声もあったが、時間が経てば風化されしまう。そんなことを考えてるうちに、タケからパスが私に回ってきた。