【前回記事を読む】「オレ払うし、一緒にタクシーで帰ろうか」一か八かで誘ってみた返事は、OKだった。その後、時間差でライブハウスを出て…
1 始動
武蔵小山 2009年
一度、2008年の春先に右手の異変に気付き始めて、以来毎晩アルコールで紛らすことが続き、彼女も私にとうとう愛想を尽かしたようで、別れの言葉を発せられた。この時は話し合い、気持ちを入れ替えて、もう一度向き合うという話になったものの、やはり上辺だけだった。彼女には家に帰ると言い、毎日身体の不安を押し殺すかのようにアルコールを浴びていた。
確かに、今思うと忙しかった。その頃本業とは別にインディーズレーベルの専属DJとして、そのレーベルが主催するライブイベントに転換DJの仕事もこなしていた。
本業がシフト制ということもあり、ライブイベントに休みを合わせて、休みの日はインディーズレーベル、金曜の夜はクラブDJ、それ以外は本業と。
彼女との時間を作ることも儘ならない時が続いていった。そんな状況下で毎晩酒を飲み音を浴びに出掛ける。さすがに元々DJ活動自体に否定的だった彼女はいい顔をしていなかった。
その中での自分自身の右手の違和感。色々なことが繋がり始めたのは、夏が終わり秋の訪れた10 月だった。中学校時代の同級生の結婚式が終わり、翌週は彼女の誕生日であった。
結婚式に感化されたのか、私は本気で彼女との結婚も考えるように変わり、そのためには今の身体の状態、今私の身体に起きている不具合をちゃんと彼女に話す必要があると、重い腰を上げる決心がついた。
しかし、結果、彼女を裏切ることになる。
私は誕生日前日の夜に、ハメを外し、日付が変わり誕生日当日になっても、飲み歩いていたのだ。
心の中で甘えがあった。翌朝に待ち合わせ場所に着いてれば、お咎めなしだろうと。 アルコールの勢いも加わっていたのか、彼女のメールにも電話にも対応せず、結局朝まで友人達と飲み明かした。
朝二日酔いで目覚め、何もなかったかのようにメールを送るが返事はこない。電話にも出ない、慌てて時間前に待ち合わせ場所に行き、ことの重大さに気付くが、時すでに遅かった。結局彼女は待ち合わせ場所には来なかった。外の気候なんて覚えてもいない。それほど強烈な二日酔いと、罪悪感で私の目は覆われていた。