その日の夜、メールが届く。
「私の30歳の誕生日に、一緒にいてくれなかったことに大変失望しました。もう連絡してこないでね、自分の好きなように生きていってください」
この日も私は一生忘れないだろう。10月8日、奇(く)しくも実家のマンションの部屋番号と同じ数字だからでもある。
12月初旬 深夜、メールが届いた。「今までのこと、全て話し合おう、ちゃんと会ってお別れしたい」
私はタクシーに飛び乗り、彼女の自宅近くへと向かった。もちろん自分の中では、もうよりが戻らないのは分かっていたし、覚悟もできていた。ただ、2年半もの間、生活の一部のように接してきてくれた彼女に会うということ、裏切ってしまったということに、胸の奥、喉の奥深くが苦しかった。
彼女も同じだったと思うし、最後にこの場を作ってくれた彼女が、私に最後にしてくれた優しさだったんだなと、今なら思える。
この時、右手の異変のことは言わないと決めた。それが私にできる最後の優しさだったのかもしれない。
三田① 2009年
毎年大晦日はDJイベントを入れずに、決まったように田町のBARでヒデジと飲んでいた。
彼との出会いは高校生の頃、母親の飲み友達だった。田町にてスポーツBARを経営している。スキンヘッドで常に帽子を被りチョビ髭のオヤジ。私とは丁度二回りほど違い、父親がいない私にとっては、ある意味良い相談相手だった。
大晦日で本業が早く終わり、店に着いたのは丁度、テレビで坂本冬美が熱唱していた時だった。
「おう! ケンボー」 いつもの挨拶でカウンター外に座って、第60回紅白歌合戦を観ているヒデジ。