【前回の記事を読む】“明朗活発で伸び伸びと学校生活を送っています。友達の良さも認められるようになりました”
③ 妙子、小学生になる
《友達》
夏は海で泳いだり、テトラポットでもよく遊んだりしていました。誰かが足を滑らせて海に足が浸かってしまえば大爆笑しました。
とにかく身の回りの些細(ささい)な出来事が私にとっては面白くて仕方がありませんでした。笑いは友達にも伝染するもので下校時に面白いことがあれば4人でアスファルトに倒れ込んで笑い、腹筋や頬の筋肉が痛くなり呼吸も苦しくなるまで笑っていました。
他の友達や親、近所の大人たちも「また、いつものが始まった」という感じで、それがいつもの光景でした。
冬は誰かの家に集合して少女漫画を読みあさったり、よく私の家でクッキーを作って遊んだりしていました。母は新聞紙を敷いてくれてその上で作るように環境を整えてくれましたが、子どもが遊びながらのことなので粉があちこちに飛んで汚れても母は叱ることや、止めるように言ったことはありませんでした。
私が大人になってから母は「皆で楽しそうに遊んでいるのを見るのが楽しかった」と言ってくれました。
《食事》
私の通っていた小学校では好き嫌いをして給食を残しても叱られたり注意を受けたりすることはありませんでした。ですから私にとって給食は楽しい時間でした。
私も皆の刺激を受けたのかは覚えていませんが、食べられる食品が多くなりました。家庭の食卓でも少しずつ食べられる物が増えていきましたが、他のクラスメイトと比べるとかなりの好き嫌いがあり友達に食べられない物を譲ったり、私が好きな物をもらったりしていました。
家庭では母が私の嫌いな野菜を細かく刻みハンバーグに混ぜてくれたり、当時の私の家庭では決して安くはない果物と野菜の混じったジュースを買って飲ませてくれたりしていました。