【前回の記事を読む】「忘れ物の女王」とクラスの皆から呼ばれていた小学校高学年時代。持ち物チェック期間中毎日のように忘れ物をしていた私
③ 妙子、小学生になる
《特徴・性格》
不注意
6年生の時の担任の先生が言った「心配することはないと思います」という言葉は、発達障害の知識がないから言えることで、無責任な発言だと感じていましたが、私が大人になりギフティドや2Eの知識を持つことで、あながち間違った評価でもなかったかもしれないと思うようになりました。
学級での係の仕事は二人でやることならば友達に声をかけてもらいこなすことが多かったです。黒板消しの係の時は一人だったので忘れてしまうことが多く、友達に「そろそろ授業が始まるけど消さなくていいの?」と声をかけられたり、チャイムが鳴り先生が教室に来てから先生に消すよう指示されたこともありました。
発達障害を持っている人には感覚過敏がある人もいます。私は太陽の光が苦手で、体育の授業や運動会の練習などで外に行くと皆が平気にしている光でも私には目や脳に突き刺さるような痛みを感じていました。これは、“感覚過敏”という症状だそうです。
これについても聖子に「また、そんなにまぶしがっているの!」と笑われていました。決して馬鹿にされていた訳ではありませんが。大人になってから気付いたのは特に疲れを感じている時に太陽の光に痛みを感じやすいという症状が出るということでした。
また、学校の授業や友達と遊んでいる時にスポーツやゲームのルールを理解できましたし、順番も待てました。譲り合いもできて友達とトラブルもなく関わることができました。
片付け
部屋の片付けが苦手で学習机の上にはいつも山のように色んな物が置いてありました。家庭訪問がある時は、母や姉に手伝ってもらって片付けていました。
DCDの特徴として縄跳びや跳び箱が苦手だといわれていますが、私にとっては困難ではありませんでした。跳び箱は得意な方でした。体育が好きで、恐怖感があまりなく、何でも挑戦していました。しかし、平坦な道や廊下を歩いている時によくつまずくことはありました。
学習発表会や運動会などでは、発表するものを覚えることに困難はありませんでした。4歳の頃の私のように先生に指示されていない勝手な行動もすることは小学校ではありませんでした。
貧乏ゆすり、爪噛みがやめられませんでした。貧乏ゆすりはよく母に注意をされましたが、治りませんでした。
学校の教訓で「みずから進んで学習する子ども」「決まりを守り礼儀正しい子ども」「心身ともに健康で実行力のある子ども」とかかげられていました。それに従って生活をしようと意識していました。
誰かが先生に「これをやるのは面倒くさい」などと発言すると“決まりは?!”とヒヤヒヤして聞いていましたし、また母が特別真面目な性格のため、日々「先生の言うことを聞きなさい」と言われていたので先生に否定的な発言や乱暴な言葉使いはしませんでした。