「まだ……まだやれることあるだろ。教えてくれよ」
「あとのことは、この田沼意義に聞け。ええな」
平八郎が意義を一瞥する。二人の間で暗黙の了解があったようだ。カイだけが疎外感のようなものを感じていた。だが、それはおとなたちの配慮でもあるのだろう。
「では、急ごうか。まもなく捕り方が来る」
「畜生。また密告か?」
「違う。わしがここの家人に命じて、大坂城に知らせさせたんや。もうこれ以上の迷惑はかけられへん。意義」
意義が太刀を抜いて介錯の準備をはじめた。先に格之助が前を開き、小刀を手に取る。
「父上。お先に参ります」
平八郎はただ頷いただけだった。事情を知っている意義には、最後の最期で自分の養子がまともであることにほっとしているようにも見えた。
「田沼殿。よろしくお頼み申す」
まるで日常の些事かのように、格之助は淡々と腹に小刀を突き立てた。誰も何も言わぬ中、ぶすりと刃物が肉を貫く音だけが響いた。
「ゆみ、たろう……」
格之助は断末魔にそう吐き出し、目に涙を浮かべた。意義はなるべくその目を見ぬように、粛々と格之助を介錯した。
ついこの間まで同じ目的のために戦った同志。それも自分の人生を変えた大恩ある男が、兄弟のようにも慕った男の首を平然と刎ねた。カイにとっては悪い夢でしかなかった。
(これか? これがおっさんが言っていた、窮屈な侍のしきたりなのか?)
だとしたら、次に消えるのは大塩平八郎? オイラだってこれまで何人かの命を消してきた。なのに、仲間が仲間を斬る。そんなものはもう見たくない。カイは空ろな目を天に向けた。
だが、時間は進む。田沼意義が平八郎の背後に立った。
次回更新は7月5日(土)、11時の予定です。
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