【前回の記事を読む】会社の寮で誕生したアマチュアのエレキバンド。そのバンドの最初で最後のステージは労働組合主催のクリスマスパーティーだった
五、 さすらいのギター
バンドメンバーの中で、ドラムスの高山は栃木の工場に、司会の三嶋は山口の工場に、それぞれ年明け早々に転勤が決まっている。
栃木工場はトラックタイヤの、そして山口工場は鉱山用タイヤの主力工場である。
加藤は大学の理工学部夜間部を受験するために勉強を続けてきたが、入学試験へ向けた最後の準備に集中しなければならない。
石岡と近松は会社を辞めて音楽の道を本格的に目指すかどうか悩んでいるらしい。
佐野エリカは庶務課に残るが、いずれはご多分にもれず寿退社となるのだろう。
ザ・ルーズボーイズメンバーとその関係者はクリスマスパーティーが終わって静まりかえった講堂で後片づけをやり、その後駅近くの居酒屋で打ち上げ兼解散会を行った。そしてそれぞれの道を歩み出した。
加藤が乗ったエール・アルジェリー機は順調に飛行を続け、カイロ空港への着陸態勢に入った。
あのクリスマスパーティーから十一年が経過している。日本からの便りによれば、高山は栃木の工場で、三嶋は山口の工場で元気にやっている。
加藤の所属する海外部門が、外国人関係者を日本に招待して工場を見学させる時に、彼らが積極的に工場案内を買って出てくれているようでありがたいことだ。
会社を辞めてプロの音楽家を目指すかも知れないと言っていた石岡と近松は、結局それをあきらめて元の職場に残っている。
加藤はこの二人が会社を辞めなかったと聞いた時、正直ホッとしたのを覚えている。
一方、佐野エリカはあのパーティーの三年後に、寿退社ということではなく会社を去ったそうだ。もしかしたらバンドメンバーの中に思いを寄せた男がいたのかも知れない。だがみんな鈍感だからわからなかった。彼女のその後の消息は誰も知らない。どこかで幸せに暮らしていればいいのだが。