新領土拡張による移住・旅行

1894年、1904年、1914年、と10年ごとの戦争があり、更にまた1910年に日韓併合があり、日本の領土拡張があった。

1894年には、日清戦争があった。日本と清国(清朝中国)とで朝鮮(李氏朝鮮)支配を巡って争われた戦争である。

日本は勝利し、下関条約(1895年)で、台湾・澎湖諸島・遼東半島(後に三国干渉で清国に返還、臥薪嘗胆の故事がいわれた)を得た(この時台湾は日本領になって、富士山より標高の高い、台湾の一番高い山の玉山は、新高山と呼ばれた。

これは日本統治下での、森林資源開発のため・特に台湾ヒノキの切り出しのため作られた有名な、阿里山鉄道のある阿里山とは違う。真珠湾攻撃の際の暗号「ニイタカヤマノボレ・トラトラトラ」の「ニイタカヤマ」はこの玉山の事である。

台湾の玉山(中国人の珍重する玉の取れる山の意味)は、台湾を南北に貫く中央の標高の高い山々の連なる山脈の中にあり、富士山のように孤立してすそ野を長く持つ山ではないので、なかなか見つけにくい。

台湾南部の高雄の圓山ホテルの二階に上がる踊り場で、玉山の大きな絵を見た事がある。ちなみに、太平洋戦争の時、日本がマレー半島を下って行って、イギリス支配のマレー半島の先の島シンガポールを占領した事があったが、この島は当時「昭南島」と呼ばれた。

新たに獲得した領土の名前は、似たような発想からつけられた。下関条約で、清は朝鮮での主権を放棄し朝鮮の独立を認め、日本もこれを承認したのに、5年後に日本は、日韓併合で植民地化した。

これが朝鮮半島の人々に、日本は、独立を承認したのに5年後日本に併合した、うそつきだ、と恨みをかっている)。

1904年には、日露戦争があった。クリミヤ戦争(1853年〜56年)で黒海・地中海ルートによる南下を阻まれたロシアのシベリアからの不凍港を求めての南下政策に対抗した日本とロシアとの戦争であった。

その結果ポーツマス条約(1905年)により、日本は、南樺太をロシアから獲得した。また大連・旅順、東清鉄道の旅順長春間の租借権も獲得した。

 

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