【前回の記事を読む】遠くからは美しく輝いて見えた街だが、中に入ると、通る人々や街に漂う匂いも含めてフランスとは違う空気が漂っている

三、 ブーメ大統領の悲願

「このサハラ砂漠は人の住めない不毛地帯のようですね」

「確かに人間を寄せつけない土地だが、この砂だらけのサハラ砂漠がアルジェリアの生命線だ」

「石油ですね」

「そうだ、この砂の中に天然ガスとオイルがたっぷり埋蔵されている」

井原はあらためてアルジェリア地図の大部分を占めるサハラ砂漠を見つめた。

「地中海の恵み、アトラス山脈のもたらす地の恵み、そしてサハラ砂漠の石油の恵み、これがフランスが一八三〇年からアルジェリアを特別な植民地として百三十年間も手放さなかった理由(わけ)だ。

西隣のモロッコや東隣のチュニジアやその他の西アフリカ諸国などの旧フランス領とは植民地時代におかれていたステイタスが異なる。フランスがアルジェリアを統治した間、アルジェ、オラン、コンスタンチンの三大都市をフランスの〈県〉として本土と同じ扱いをしたんだ」

「なるほど、そうですか。ところで植民地になった国の現地人はどこも奴隷のように扱われていたと聞いていますが、アルジェリア人の扱いはどうだったのでしょうか?」

「やっぱり現地人の扱いは他の植民地と同じだったようだ。君のような研修生が社内では人間扱いされないのと同じだ。フランスが統治していた時代には本土から移住してきたコロンと呼ばれるフランス人主体の欧州人は百万人に達した。そいつらが征服者のように我がもの顔で現地人をこき使っていたようだ」

「確かに研修生は人間扱いを期待しておりません」と井原は頭を搔いた。大田原は続けた。

「当然のことながらアルジェリアは独立に動き、一九五四年頃からその運動が激化した。それを阻止しようとコロンと呼ばれるアルジェリア在住のフランス系人民が独立阻止に動いた。そしてアルジェリア民族解放戦線(FLN)との間に内戦が勃発した。このアルジェリア独立戦争は、百万人以上の死者を出す壮絶な闘いとなった」