ベトナム料理店はオフィスから長い階段を上がる途中にあった。丘の中腹に築かれた街だから階段が多い。

ベトナム料理は中華系で日本人にも好まれるようで、客には日本人のビジネスマンらしき人たちが多くいた。大田原が、

「あそこのテーブルは日本大使館関係、こっちのテーブルはA商社だ。だからここでは仕事の話はあまり出来ない」と、そっと井原に耳打ちした。

井原は大田原と同じフォーを注文した。持ってきた店員を見て、井原は驚いた。

「あの店員は日本人みたいですね」と大田原に聞くと、

「ここのオーナーの娘でベトナム人だ。美人だろう。あの娘を狙ってこの店に通っている日本人も何人かいるようだ。だが手を出したらダメだぞ」

「いえいえ、とんでもありません」井原は慌てて手を振った。

昼食を済ませた二人はオフィスの会議室へ戻り、再び大田原の講義が始まった。

「さて、午前中はどこまで話をしたかな」

「オイルショックが勃発したというところまでです、大田原さん」

「ああ、そうだった。現在のアルジェリアのブーメ大統領は、このオイルショックを機にフランス離れ、アラブ化を強力に推し進めようとしている。例えば言語だ。この国の公用語はフランス語だが、これをアラビア語に変えさせなければならない。これは大変なことだ」

「えっ、フランス語じゃなくなるんですか? それでは私がここにお礼奉公に来た意味がありません。アラビア語のアの字も出来ません」

次回更新は6月11日(水)、21時の予定です。

 

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