【前回記事を読む】【紫式部日記】「おなじ心なる人」へ送る手紙としての長編日記──敬語表現と詳細な人物描写に込められた思いとは…

第一章 紫式部日記

一 現行日記に沿って

山吹と朝顔の歌

家集に次の二首がある。

八重山吹を折りて、ある所にたてまつれたるに、一重(ひとへ)の花の散り残れるをおこせたまへりけるに

をりからをひとへにめづる花の色は薄きを見つつ薄きとも見ず

世の中の騒がしきころ、朝顔を、同じ所にたてまつるとて

消えぬまの身をも知る知る朝顔の露とあらそふ世を嘆くかな

敬語の使い方から、この二首も身分の高い人に詠まれたものであり、日記を送った相手に対して詠まれたのではないかと考えられる。

この山吹と朝顔の二首の歌は、写本の山吹の歌の前に破損があり、前の歌との関連からいつの歌であるかの推定はできない。朝顔の歌の詞書(ことばがき)に「世の中騒がしきころ」とあり、疫病が流行したころの歌である。この疫病は、長保二年の冬に始まり、長保三年になっても続いていたものであると考えられる。朝顔の歌が詠まれたのは、長保三年の秋だと考えられる。

山吹と朝顔の歌が、同じ年の春と秋に詠まれたとすると、山吹の歌が詠まれたのは、長保三年の春であり、長保三年四月二十五日の宣孝の死の前に詠まれたものである。春のころの歌が、何気ない日常の中のやりとりと考えられるのに対して、秋の朝顔の歌には憂愁の色が濃く漂っている。