いつものように、図書館に向かう途中でクンチの住んでいる青栄荘の前を通った時に、四畳半の窓から「三人で何処に出かけるの?」とクンチから声を掛けられた。クンチの住む青栄荘は、木造二階建て、炊事場と便所は共同使用、玄関には下足棚があって、靴を脱いで上がる共同住宅である。
私は、「保谷工の補欠募集の受験勉強をするため、六丁目の図書館に向かっている途中」と答えた。
クンチは、「いいことを聞いた。一緒に勉強はしないが、願書を取りに行く時教えてくれ。俺もその都立高校の補欠募集を受験する」
高校受験に失敗していたので、いい機会だと思ったのだろう。
その結果、私、西、ヨシ、クンチの四人は、保谷工の補欠募集を受験することになった。
私は、中学のクラスメイトに保谷工の補欠募集に臨むことを宣言した。中学の同じ班の竹川恵子が「松君、私が受験に使った英語の参考書をあげるネ。返さないでいいよ。だから試験頑張ってネ!」と参考書を譲ってくれた。「竹川さんありがとう」と彼女の気遣いに好意を抱くようになった。
同じ班の伊井田和子は、私の後ろの席に座っていた。参考書を譲り受けるところを見て、「松君、都立高校の補欠募集の受験するんだって? 何もすることできないけど、頑張ってネ」私は、「今度の試験は、絶対に合格できるように頑張る。応援してくれてありがとう」とこんなやり取りをした。

昭和四十五年三月吉日の日曜日が補欠募集の受験日。
四人は、保谷工の補欠募集を受験するため、立川駅に集合した。国鉄中央線で立川から武蔵境に向かい、武蔵境駅の北口を出て西武バスに乗り、武蔵野女子学園前で下車して、徒歩で五分位の場所にある保谷工に向かった。そこで建設科と機械科合わせて三十数名の受験生が一クラスに纏められて受験した。
試験科目は、国語、英語、数学の三教科であった。受験問題は、一月の都立高校の入試問題より、難しくなかった。
四人は無事合格することができた。