【前回の記事を読む】同じく高校受験に失敗した仲間が「俺も」「俺も」と集まり…4人で工業高校の補欠募集を受験することになった。

三、後頭部直撃の衝撃的な事故の回想

私は、葬儀の弔辞の中で都立保谷工業高校に入学した一年生の時の衝撃的な事故のことを語った。

「昭和四十五年四月一日、補欠募集で合格した都立保谷工業高校の入学式の前の準備は大変だった。ネクタイの締め方がわからず、何回も練習したよネ。覚えている。入学式当日は、緊張していた。

制服は、紺の背広にグレーのズボンと赤のネクタイを結んで参列した。ネクタイの結び方を練習した成果もあって、無事に入学式が終わって良かった。西が言うように、通学も毎日通えば乗り換えがあっても馴れて苦にならなかった。

一学期は無難に終わって、一年生の二学期に大変なことが起こってしまった。それは、夏休みが終わって、九月中旬のクラブ活動での事故のこと。大変だったネ。ランニング中に陸上の円盤が私の後頭部を直撃して生死に係わる事故に遭い、病院に入院した時、君が、中学時代の友人や高校の同級生と一緒に頻繁に見舞いに来てくれたことに感謝している。本当に心強かった。事故当日君は、救急車の中で……」

故人に語り掛けるように回想した。

***

保谷工の入学式は、昭和四十五年四月一日に執り行われた。

父親は、高校生活での食事のことや学費の支払いについては私の自主性を重んじていたので、係わらないことを決めていたが、私は無理を言って父親に入学式に参列してもらった。

体育館に建築科、建設科、機械科の新入生三百二十名が集まり希望に心を弾ませながら参列した。

生徒一人ひとりが名前を呼ばれ校長から合格書を手渡された。校長の訓示のあと、担任の先生の引率により教室に向かった。

私は、B組を選択した。卒業したら就職を希望していた。できれば地元の市役所に就職したかった。高校を選択した時と同じく安易な気持ちで将来のことを考えないで決めていた。

一学期の数学の試験問題は、因数分解の難しい試験が出題された。私は五十五点を取れたが、まさかのクラスで一番だったので驚いた。

高校のクラブ活動は、中学校から始めていた柔道部を選択した。二学期になった昭和四十五年九月二十日、柔道の昇段試験に府中の大國魂神社にある道場で、臨むことになった。道場には柔道を嗜む若者が集まり、柔道着に着替えて道場に集合した。

前多平蔵三多摩柔道連盟会長の挨拶。

「本日は、柔道を志す諸君の講道館、昇段試験を実施する。参加する諸君は、日ごろ体を鍛えているがくれぐれも怪我のないよう心がけて貰いたい。諸君の健闘を祈る」と会長の挨拶のあと、参加者全員による準備体操と受け身の練習をした。