橋の上で騒ぎになっているとき、橋の下で廻送船(かいそうせん)の下請けを生業(なりわい)としている船頭の親子が、船の荷役作業をしていた。

「父ちゃん、橋の上で何か騒いどるっと」

「あん? また権藤一家の三下連中の仕業(しわざ)だな。この間も、橋銭払わねえ奴をひでえめにあわせたそうだすけな。橋銭も馬鹿高いそうだ。童子や年寄りからもふんだくるそうだ。ほんに嫌な奴らだ」

船頭の親父は凍える手で縄を縛りながら、しわくちゃな渋い顔をいっそう曇らせながら言った。

「なんとか、連中を捕まえらんないもんかね」

「うーん。まだ、不作が続いておって乱れておるからのう。前の年よりは良くなってはおるが、まだまだじゃ。府内ではまだ夜盗も出よる。同心や岡っ引も目をつぶっておるのかもな。

昔、不識庵謙信公様が治めていたころは、橋銭は童子・年寄り、そして体の弱い者からは決して取らなかったそうな。

第一義を掲げた御屋形様(おやかたさま)ならではのありがてえ慈悲深い政(まつりごと)だ。しかし今は末法の世じゃ。義だけでは生きていけないのかのう」

船頭の親子は蓑をかぶり直し、廻船小屋の方へ早足で行ってしまった。橋の上では、黒山のひとだかりが野次馬と化し、橋を埋め尽くしていた。

濡れ鴉の男は口から血を流し、意識も朦朧(もうろう)としているようである。熊男はなおも攻撃を止めようとしない様子で、辰吉や安は一興を楽しんでいるかのようである。

そのとき、

「岡っ引だー! 岡っ引が来たぞ!」橋の奥の方から大きな声が響いた。

群集は一瞬どよめいた。驚いたのは辰吉たちだった。辰吉は一瞬にして血相を変えた。

「なに岡っ引だと! やべえぜ。岡っ引には稼ぎ銭全部もってかれるぜ。おい安、ずらかるぞ!」

蜘蛛(くも)の子散らすように、権藤一味の連中は脱兎(だつと)のごとく散り散りに逃げていった。

多くの野次馬たちは、ほっとしたかのように緊張の糸が切れ、周囲に安堵の空気が広がった。しかし岡っ引が来る気配はない。

人々の視線は倒れている男へ注がれた。痛々しい姿が遠目でもわかった。先ほどの若い母親が倒れている男の近くへ走ってきて、

「もし、大丈夫かい? 気は確かかい?」三度笠の奥を覗き込んだ。

鴉の男は無言だった。地面に臥(ふ)したままでぴくりとも動かない。意識が混濁しているのだろうか。若い母親は心配になり、

「さくら、ちょっと大丈夫だろうか、この男(ひと)。町医者へ連れていかなくていいかい?」と椿の花を手にした童女さくらへ目をやった。

さくらは母親に顔を近づけて、

「このお兄さん、大丈夫よ。全然平気。もっともっと、強いよ」

なぜか、さくらという童女は自信ありげだった。

 

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