【前回の記事を読む】今朝が、妻の体中の“抗がん剤濃度”が一番高いときだと思う。どういう状態の朝になるか心配していたが…

第六章 2016年

1月1日(金)
元日

静かな1年の始まりである。

私は4時頃に目を覚ましたが、良子は既に起きていた。元々朝は早いが、それが更に早まった。寝るのが早くなったのである。夜、9時前には寝ている。

「おめでとう」と私は言った。「おめでとう」と良子は応えて微笑んだ。生きていてくれて本当にありがとう、心の中で言った。

良子は白湯を呑んでいた。寝起きに温い白湯を呑むことは、内臓への目覚ましなのである。私は舞美人を一升瓶から湯呑についだ。良子は、しょうがないわねという顔をした。

70になって、笑顔の可愛い女だ。ひとから見れば単なる老婆だろうが、私には、いくら見ても見飽きない顔である。

私の義兄が、内心、その弟の嫁に良子を望んでいたと、ずっとあとになって知った。しかし弟には既に深い仲の恋人がいて、話は具体化しなかった。もし実現していれば、間違いなく幸せな夫婦生活であっただろう。

義兄は良子のことを、「精神安定剤」と言っていた。「良子ちゃんのような奥さんなら、10年は長生きできる」とも言った。義兄の弟Y氏の結婚生活は、幸せなものであった。良子と違って旦那を指図したように見受けられたが、Y氏は満足していた。

ただ子供が授からなかった。それだけに二人は常に一緒だった。Y氏がすべての役職を終え、最上級のレクサスを買い込んだ。これから二人で日本全国、行きたいところへ行くんや、と嬉しそうに宣言し、実行していた。

それが半年後、夫人は倒れ、意識を戻すことなく、逝った。そのときのY氏の悲痛が、今の私には分かる。そのときには分からなかった。人生とは何であろう。