「は」

「但し、ひとつ注文がある。必ずや江戸に聞こえるように、ぶっ放せ」

「はは」

天保八年二月十九日。西暦に直せば、1837年3月25日午前7時。まず、平八郎は集まった塾生らの前で自ら邸に火矢を放った。早朝の大坂の空に黒炎が立ち上る。燃え始める建物を塾生たちは唖然として見守り、そのうちのひとりが言った。

「先生。何もここまでなさらずとも」

「これはな、退路を断ついうことや。もうわしらに戻る場所なぞない、いうこっちゃ」

平八郎は毅然として松明の火を思い出深いわが家に投げ込んでいった。狂気を覗かせた平八郎について行くのは、塾生や元同僚が中心の二五名だった。大塩邸が完全に焼け落ちた頃、平八郎は武者震いする一党に向かって宣言した。

「これよりわれらは、御政道を正すために決起する。旗頭は、これや!」

美吉屋五郎兵衛が染め上げた「救民」の幟を格之助が掲げた。

「えい、えい、おお!」

総員が大音声で鬨を上げた。

(始まるんだ。カクメイが)

カイもまた身震いしながら声を上げた。祭りの始まりのような喧噪の中、平八郎の側に大井正一郎がすり寄る。