初版序文
はじめに
筆者は、1986年(昭和61年)日本医療法人協会評議員、1995年(平成7年)同理事、2000年(平成12年)からは同常務理事を務めてきたが、この間、医業税制、医療法人制度に関与してきた。
日本医療法人協会の主たるフィールドが税制・医業経営であったこともあり、法務・医療安全には直接関与してこなかった。学生時代も真面目に法学の勉強はしなかったし、面倒な法律文書など見る気もしなかった。そんな筆者が、医師法第21条問題・医療事故調査制度に直接関与し、憲法・刑法・行政法の教科書を読むことになろうとは、まことに皮肉なことであった。
2006年(平成18年)の福島県立大野病院事件医師逮捕の映像を見て、筆者は憤りを感じた。地方の医療機関の一人医長という立場はかつて自分も経験してきたポジションである。待ったなしの救急患者に必死に対応していたが、何事もなくこれたのは、ある意味幸運であったとしかいいようがない。そのため福島県立大野病院事件は将に身につまされるものがあった。
「これでは手術などできなくなる」。これが当時抱いた正直な感想である。それまでは医師法第21条の規定など筆者は知らなかった。これ以降、医師法第21条というものに関心を持つようになったのである。
2008年(平成20年)、厚労省第3次試案が公表された。筆者はこの第3次試案に危険を感じた。筆者の妻は内科医であり、食卓では医師法第21条や第3次試案について諸々話をしていた。
あるとき、妻が、「井上清成弁護士を知ってる?」と尋ねたのである。筆者は知らなかったが、筆者が言っているのと同じようなことをネットで書いているという。ネットで検索し、井上清成弁護士の講演会に参加することとした。これが、筆者が井上清成弁護士を知ったきっかけである。
その後、筆者の具申により、日本医療法人協会(豊田尭会長《当時》)内に「死因究明制度等検討委員会」が立ち上げられて、筆者も委員となった。筆者の推薦で井上清成弁護士が講師として招かれることとなり、それが井上清成弁護士と日本医療法人協会のつながりとなった。
「死因究明制度等検討委員会」は、日野頌三会長時に「医療安全調査部会」と名前が変わり存続することとなり、井上清成弁護士が日本医療法人協会の顧問弁護士となることになったのである。