私のあとで署名した方が私とまったく同じ名前で、先に記入した私は知る由もなかったのであるが、その人は私に話し掛けて来た。私より一回りはお若いと見えた。

父の戸籍簿の命日が9月30日になっている、と彼は言った。

場所も、兄と同じ大宮島(グアム)であった。

グアムの実質壊滅は8月10日で、日本軍の組織的抵抗が完全に終結したのが11日であったと記録されている。

その方の父上も、戦死公報に記された9月30日を「命日」とされたのであろう。グアムの部隊は全員、9月30日の戦死として公報したと考えられる。いい加減、というか、分からないのである。しかしおそらく、9月30日まで生存していた可能性はない。

兄の「命日」を、父母は8月10日とした。過去帳に、「戦死公報ニヨレバ九月三十日戦死シタトアルガ其後帰還戦友ノ話ニヨリ八月十日ノ命日トス」と記されている。

私がなぜ9月30日を「永代神楽祭」に設営したのかというと、過去帳に記された戦死公報記載日付であること、それに8月は15日には必ず靖国へ参るので、そのようにした。季節のこともあった。

今日もさわやかな最高の日和であった。

二人の巫女による供物の奉奠(ほうてん)、お神楽の舞、そして神職により延々と戦死者(ミコト)の名が詠み上げられる。カトリック教会の「連願」に通じるところがある。名前が連綿と詠み上げられるだけである。それが祈りになっている。

集まったのは40人ほどだったと思う。

単純な祭儀であるが、50分ほどだった。しかし30分にしか感じなかった。

検査を終えた良子を迎えに病院へ寄った。

帰りに近所の町医者「T医院」へ飛び込んで、“丸山ワクチン” の治験を頼み、引き受けて頂いた。初めて訪ねた医院であった。

丸山ワクチンについては、これからも何度も書くことになるであろう。ずっと気になっている “ワクチン” である。

 

40年余り前と思うが、今東光がテレビで、「がんをやっつける必要はない。一緒に生きればいいんだ」と言っていた。

東光さんはこのワクチンを使っており、79歳まで元気であった。

それ以来、丸山ワクチンの名は、ずっと私の記憶に残っていた。

丸山ワクチンの開発者・丸山千里氏のご長男が、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントの社長を務めた丸山茂雄氏である。丸山茂雄氏ご本人が66歳で食道がん発覚、Ⅳ期、余命4カ月を告げられた。それが現在74歳であると思えるが、健在である。

丸山さんがソニー本体の社長になっていれば、ソニーがアップルになっていたかもしれない。

 

次回更新は4月2日(水)、20時の予定です。

 

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