同日、内視鏡を用いた切開処置を受けたが、処置後の18日朝に失血性ショックとなり、切開箇所の止血を行う再処置中に一時心肺が停止。昏睡(こんすい)状態となって今年2月20日に敗血症・多臓器不全で死亡した。

四宮院長は25日の記者会見で、「手技(技術的)に問題はなかった」としたが、下血時に緊急輸血をせず、再処置中に男性の血液中の酸素濃度が低下する状態悪化にも気付かないなど、対応が遅れたとした。

外部有識者などからなる事故調査委員会を立ち上げた同病院は8月31日、事故経緯について同委員会から報告を受け、遺族に謝罪。今月17日に遺族との間で和解が成立したという。

内視鏡手術にするのか開腹手術にするか、10月7日に決めなければならない。

成功が確かなら内視鏡が良いのだろう。

良子には既に胆嚢摘出を内視鏡で行った経験がある(3・11大震災のとき、病院のベッドの上にあった。手術は確か3・11の2日ほど前だった。点滴液の支柱が動くのを必死で押さえたと聞いた。手術中ドンピシャリの可能性もあった訳で、そのような人も、当然いたであろう)。

病院の最後の夜は中秋の名月、

退院した夜は、“スーパームーン” だった。

共に、美しい月が見えた。

9月30日(水)
永代神楽祭

良子が落ち着いて平然としているのに驚いている。

昨晩、大阪の姉から良子に電話があった。

「がんはできてしもうたんやから、しようないです。はは」

なんて言っている。姉は姉で、

「悪いとこは切って棄て、ええとこつないだら終わりや。何でもあらへん」

なんて言ったらしい。実際に左の乳房を切って棄て、ぴんぴんしている姉である。

私が同じ立場でも、似たような会話をしたような気がする。

どうもうちの家族は、生に恬淡なところがある。

次兄が、もう30年も前と記憶するが、田舎の医者にがんを告げられた。

がんだという医者に、兄はにこにこしながら、「ああ、そうですか」と答えたそうである。医者はともかく看護師たちは、「このオッサン、ぼけとるんちゃうか、いう顔しとった」と、兄はそれを観察していたらしく、笑いながら言った。

十分に生きた、という思いが、私の想像できぬ深さで兄にはあるような気がする。そういう人生だった。

兄は姉の強力な勧めで姉の紹介する大阪の病院へ移った。再検査の結果がんでなかった。90歳の今も健在である。

今日は良子を病院に下ろし、その足で靖国神社へ向かった。

長兄の「永代神楽祭」があって、参列した。

9月30日に所縁のある戦死者の遺族が寄っている。9月30日は、長兄の戦死公報に記された戦死の日である。実際には9月30日の50日も前に、部隊は「玉砕」していた。

奇遇があった。