盲目の作曲家ホアキン・ロドリーゴの『アランフェス協奏曲』は、50年以上前、レコードでよく聴いた。ギターはナルシソ・イエペスだったと思う。その後、第2楽章を、マイルス・デイヴィスがトランペットでやった。これも美しかった。
トリフォニーホールは盛況であった。最近の新日本フィルハーモニーの定期は、ダニエル・ハーディングのような特別の指揮者を除いて、これだけの聴衆を集められない。
演奏は楽しいものだった。私の心はとりあえず解放されていた。アランフェスの第2楽章はカニサレスと森明子さんのオーボエの掛け合いが、期待通りの美しさであった。
ただ普段の聴衆と若干異なるのは、私の前の夫婦は、身を乗り出して聴く。これはエチケット違反とされている。背もたれに背を付けて、鑑賞しなければならない。
この点に一番厳しいのは、私が知る範囲では歌舞伎座で、進行中でも場内整理員が近づいて注意する。私が動かすのは首の軸だけで、回転するのは首だけである。カメラについても、私の近くの白人女性がパチリとやったとき、すぐにそのカメラは取り上げられた。
私の横のオジサンはずっと体を振動させていたが、第3部ではついに、音は出さないが手拍子を始めた。しかし、前の夫婦といい、横のオジサンといい、私はさほど気にならなかった。フラメンコというものが、本来、おそらくは、劇場のものではないのである。
実に楽しいコンサートであった。
しかし状況が違っていれば、たとえ聴きに来たとしても、私は絶望の闇の中でカニサレスのギターを聴いたであろう。
9月27日(日)
コオの見舞い
コオが見舞いに来た。
お母さんの入院は告げたが、見舞いには無理して来なくても良い、と言ってあった。コオは料理人で、仕事の時間が、病院の面会時間に合わないのである。それに良子の外観状態そのものはのんびりしていて、緊急なものは何もなかった。本を読み、テレビを見ているのである。
車中で、お母さんが「がん」であることを告げた。コオは黙っていた。
経過を説明した。第1段階のピンチは脱した、と言った。
「明日、一旦退院する」
病室に入ると、良子はコオを見て、笑顔を見せた。
コオも小さく、「よお」と言って、にこっとした。
そして改めて、ことの経過を私がコオに話した。
私たちは、良子も含めて、この10数日で「がん」という言葉に耐性ができていた。しかしコオにとっては重いものだったようである。黙っていた。
コオは良子の実子ではない。