私が大学時代、六つ年上の女に生ませた。その女にとっては災難のような出来事であった。
しかし結局、私のいい加減さを見限り、女は私から去った。
コオは、私の老父母と兄夫婦が育ててくれた。
良子は私の兄嫁の姪である。つまり、私の義姉が、良子の母親の妹である。
良子を一番気に入っていたのが母である。良子ちゃんのような子が来てくれたら、と言っていた。しかし私はなお、私を棄てた女への未練があった。つくづく女々しい、イヤな男であった。
コオもまた、良子になついていた。
あるとき良子が嫂に、「私がコオちゃんのお母さんになってあげようか」と言った。
良子は、子持ちの男と結婚する必要のない、若い、処女であった。
なぜそのような気持ちになったのか、私には分からない。
嫂はその言葉を逃さなかった。
まだ逃げた女を吹っ切れぬ私は、その話から逃げようとしたが、父母も、兄夫婦も、それを許さなかった。
コオは、強さはないが素直に育った。素直すぎるのが歯がゆいほど、穏やかな性格に育った。結局それは、良子に似たのだと思う。
『サライ』10月号の付録、「和食は京都にあり」が、良子の膝元にあった。
「これ、おいしそうやねえ」
と良子が、ある割烹店のページを開いて、言った。
「よし、それじゃ、お母さんの快気祝いはこの店でやろう。みんなで京都へ行こう」
コオもあい子も、そうしようと言った。
結婚して数年、おそらく10年近く、私は良子に優しい夫ではなかった。暴力を振るったことはないが、勝手で、冷たい男であった。あるとき、良子は言った。
「お父さんはしたいこと、何をしてもええよ。でも、私は絶対にお父さんと別れない」
私はどこかで、良子が辛抱切らして逃げ出してくれることを待っていた。このひと言で、私の目は覚めた。私は負けたのである。
良子を知る私の義兄は、「精神安定剤」と言った。良子ちゃんと一緒なら10年は命が伸びるだろう、と言った。良子は、無類の「安定」であった。
ただ一度を除いて、良子が、慌てたり取り乱したりするのを見たことがない。動揺というものがない。
一度というのは、私が、ある女性に心を寄せたときである。良子も知っている女であった。実際には彼女との間には何もなかった。手を握ったこともない。しかしその女性を見た私の目つきに、良子は逆上した。何もないと私が言っても、聞く耳を持たなかった。あの目つきは、何もない目でない、そう言って、皿を床へ叩きつけた。狂乱と言えた。
しかし実際のところ、それは良子の、凄い感覚であった。鈍感な女ではなかった。何もなかったのは、私が相手にされなかったからである。
次回更新は4月1日(火)、20時の予定です。
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