2015年
9月24日(木)
暗転
A先生とは7時の約束であった。
私とあい子は6時40分に良子のところに着き、A先生を待った。
「照ノ富士、負けてしまった」
と良子は笑顔で言った。
「何か、本、持ってきてくれた?」
私は家に寄って、『今日の料理』のバックナンバー9月号が来ていないかと、それは確認したのであるが、それだけで、そのまま来てしまった。私自身が落ち着きを失っているのである(『今日の料理』は病院から帰ってみるとポストに入っていた)。
売店に本は少ししかなかったし、良子の好みそうなものは見当たらなかった。
「明日は検査やし、明後日でええよ」と良子は言った。
(明日、25日は、能楽堂で『紅天女』を観るため、来られない、と言ってあった)
胃の検査は、ついでにするのだろう、くらいに思っていた。
別件が長引いて、30分遅れの、7時30分にA先生は見えた。
明日の検査について良子と少し話した
「コブがあるそうですけど、がんではないんですか?」と良子は訊ねた。
先生は、がんと確定できない、というような曖昧な返事をしたと思う。私にはよく聞き取れなかった。PET検査もする、と聞こえた。
私の位置から見える良子は横顔で、目の動きがどうだったのか、表情の変化も分からなかった。
先生は私とあい子に、「パソコンでしか画像は見えませんから」と別な部屋へ誘った。
良子は自分が誘われなかった理由を、鋭く感じたはずである。のんびりとはしているが、鈍感な女ではない。体はまったく自由なのだ。
カバンを置いて行こうとすると、
「そのまま帰ってええよ。持って行ったら?」
と言った。
先生の話を聞いた私と、話したくなかったのであろう。私も話したくなかった。
カバンを持って私は部屋を出た。
A先生の説明は、あい子の要約によれば、次の通りである。
1. 大腸の検体、及び血液検査によれば、普通大腸がんには見られないもの(印環細胞)が入っている。
2.従って大腸がんが原発でなく、むしろ、胃からの“転移先”の可能性が大きい。
3. そういうことを予期して明日の胃検査を予定したのではなかったが、胃検査が極めて重要なものとなった。
4.もし胃にがんがあって、腸へ転移したものであれば、おそらく手術の意味はない。手遅れだろう。
5.抗がん剤治療をして、余命1年と思われる。
6.胃がんでない可能性はある。
7.膵臓がんはないと思う。
8.胃がん、大腸がんの治療はほぼ確立しているので、「国立がん研究センター」のようなところへ行っても、することは同じと思う。
9.抗がん剤については患者の負担の少ないものもできている。
胃がんでない可能性、のひと言は、私たちへの“気休め”のように思われた。
私は明日の能楽堂はやめ、先生からの呼び出し電話を、自宅で待つことにした。