9月25日(金)
光明

終日、雨が降り続いた。

今日は自宅待機した。出勤は取りやめた。A先生に4時頃から待つように言われていた。気持ちは暗澹たるものであった。

随分昔であるが、良子に、「オレと結婚して良かったか」と訊ねたことがある。

「まだ結論は出ていない。これからよ」

というのが返事であった。

それが、10年ほど前だろうか、どこか旅先で、

「結論が出た。お父さんと一緒になって、良かった」

と言った。「感謝している」と言った。

「もし感謝してくれるなら、お返しはただ一つだ。オレより先に死ぬな」

「そんなこと、分からん」と良子は言った。

そんなこと分からんのは当たり前である。しかし、「そうするわ」と答えても嘘ではない。いつの場合も当たり前に考え、当たり前のことを言うのが、私の妻である。適当に、ということができない。

1年、という先生の言葉が、私を痛撃する。

3月に賢島から伊勢へ行ったら、もう半年だ。京料理を食べたら、もう、命は尽きるのか。

そのあと、私はどう生きるのだろう。おそらく、生きることがめんどくさくなるだろう。

16時前にあい子は帰宅した。

随分前であるが、末期がんで医者から余命を告げられたとき、私は、「直ちに教えてくれ」と言った。良子は「黙っていてほしい。告げないで」と言った。

私はそのことをあい子に話し、今もお母さんが同じ考えなのか知る由もないが、「今日の先生の話が最悪であった場合、お母さんには隠し通そう」と言った。

幸いにも胃にがんがなく大腸の手術が可能な場合、それは状況をお母さんに話そう、と言った。

先生からの電話はなかった。 

6時まで待ったが電話がなく、あい子が病院ナースセンターへ問い合わせた。

A先生は緊急の作業が発生し対応している、とのことであった。

7時半にようやく先生より電話があった。8時半なら大丈夫と思うから、来て下さい、とのことであった。

8時20分に病院へ行った。

駐車場は8時で閉鎖されており、私は守衛さんに事情を説明して、奥の駐車場へ置いた。

雨は降り続いていた。

私たちは良子の部屋を覗かなかった。

もともと今日は来ないと言ってあった。それが能楽堂での観劇をやめて来たとあれば、何の用で来たのか怪しむであろう。そのことは昨夜、先生に話しておいた。テレビや新聞のある談話室で先生を待った。

先生は更に遅れ、談話室の主照明も消えた9時15分に、見えた。「面談室」へ案内されパソコンの画面が開かれて、A先生の解説があった。

A先生というのはお若い方で(40前に見える)、すらっとして髭が濃く、甘さのない男前である。時折見せる笑みに優しさがある。声質はベースで、私にとってもっとも聞き取りにくい音程である。先生も心得て、あい子に向かって話した。