【前回の記事を読む】配達員に私が住んでいないと言って荷物を受取拒否したアパートのマーケティング・オフィスのスタッフにクレームを言うと…

第二章 シルバー留学

インドネシアのふつう

夕方になると食欲をそそる炭火の香ばしい煙が大通りの歩道に立ち込める。大型ショッピング・モールの近くにはカキリマと呼ばれる小さな移動式屋台が集まってきて、そこに人々が群がっている。

日曜日の朝にはイスラムの白装束をまとった男性が、大通りの車道を大股で歩いている。全てが今まで見たことのない、「エキゾチック」な光景で、私にとって、毎日が非日常であった。

三十五年ぶりの学生生活

八月四日、国別にBIPAのオリエンテーションが行われた。日本人に対しては、BIPAの教授からの説明を先輩の日本人が通訳してくれる。周りを見回すと、日本人は三十人ほどで、私より少し年配の恰幅の良い男性がいたが、あとの男性はほとんど三十歳代までである。いよいよ、三十五年ぶりの学生生活が始まるのだと思うと、不安はあるが、わくわくしてきた。

八月八日から授業が始まった。授業は月曜日から金曜日まで、一時限目が朝九時から十時三十分、二時限目は十一時から十二時三十分である。オプションとして、午後からインドネシア大学BIPAの教授による個人レッスンが毎日二コマあり、有料で履修できる。

また、ガムラン音楽やバティック作り、ダンスなどの課外活動は無料で参加できる。私はせっかくインドネシアに来たので、課外活動でガムランのコースを申し込んだ。

私が所属したクラスは、十五名でそのうち十名が韓国人であった。韓国人の女性は夫がインドネシア勤務になった人が多く、男性はキリスト教の布教やインドネシアでの起業を目指している人である。

私以外の日本人は自分の娘よりずっと若い、まだ二十一歳の女性だけであった。彼女はインドネシア政府からの奨学金を受けての留学で、すでに三か月間インドネシアに住んでいる。

その他には、インドネシアにあるトルコ人学校の教諭になることが決まっているというトルコ出身の男性、イランの大学で教官をしていたという女性、中学・高校をインドネシアで過ごしたという台湾出身の男性とバラエティに富んでいる。