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第五章 インドネシアの旅を楽しむ

マドゥーラ島の楽園

スラバヤとマドゥーラ島を結ぶインドネシア最長、全長五千四百三十八メートルのスラマドゥ橋を渡ると、延々と荒野が続いている。マドゥーラ島は東ジャワの北側に浮かぶ東西約百五十キロメートル、南北約四十五キロメートルの大きな島である。

しかし、土地がやせているうえ観光資源もあまりないため貧しく、かつて一千万人いた人口も他の地区へ流出し、現在では四百万人になってしまった。また、ジャワ人に比べるとマドゥーラ人は気性が荒いと言われている。

二〇一五年十月、やはり夜中の十二時、アパートの前を出発、スラマドゥ橋を渡りマドゥーラ島に入った。ヨノ(仮名)の運転するミニバンはディーゼルエンジンのゴロゴロという音を立てながら、真夜中の見通しの悪いカーブの続く山道を東へとひた走る。

空が少し白んでくると、道路の両側の水田に真っ白な雪が積もっているような景色が現れ、一瞬驚いた。マドゥーラ島は空気が比較的乾燥していて、塩の生産が盛んとのことである。

夜を徹して走り続けたミニバンは早朝、マドゥーラの東端スメナップ県カリアンゲッの大きな駐車場に着いた。柔らかい朝日に照らされた駐車場は大型バスでやってきた観光客で賑わっている。私は車の中で仮眠しただけであるのに、なぜか爽やかな気分である。

すでにいくつかの大衆食堂は開いており、駐車場は香ばしい匂いに包まれている。その中の一軒に入り、焼き魚とご飯、野菜を選んで皿に盛ってもらった。カリッと焼かれた塩味の効いた鯵のような魚に少量のサンバルを付けて食べると、これが実に美味い。

食べ終わって、木陰でコーヒーを飲んでいると、無人島に行く船の価格でも交渉してくれているのであろうか、シティとヨノがいろんな人と話している姿が見えた。

彼らが戻ってきてシティから船代の請求があり、言われた通りの額を渡すと、一軒の民家に連れていかれ、この家の応接間で待つように言われた。家の人と雑談をしていたが、話題がなくなって時間を持て余し、トイレに行ったり、家の中を見回したりしていると、男性が私を呼びに来たので、そのあとを付いていった。