【前回の記事を読む】定年退職後は海外留学? 下見もかねてインドネシア旅行へ出発。電車に乗るも、社内表示も駅名表示もない。英語も通じず、困り果てて居ると......

第二章 シルバー留学

凄まじい鉄道

あとでわかったが、電車にはエコノミー、AC(エアコン付)、エクスプレス(急行)の三種類があり、往きに乗ったのがエコノミーで、帰りの電車がエクスプレスであった。ACとエクスプレスは日本の中古車両が使われており、エアコンが装備され、ドアも自動的に閉まるが、料金は高く設定されている。

留学準備完了

インドネシア大学のBIPAはBIPAⅠ(初級)、BIPAⅡ(中級)、BIPAⅢ (上級)の三つのコースがあり、初級は日常会話、中級はインドネシアの歴史や文化、上級はさらにインドネシアの政治や経済を中心に学ぶ。当時、一セメスターは一日三時間の授業で八月から十二月と一月から五月、インターセメスターが一日四時間の授業で五月から七月となっており、最短一年で上級まで修了することができる。

二〇一一年五月二十三日、BIPAの事務所を訪問した。日本から送った私の入学書類はすでに届いており、受け入れ準備はできていた。ただ、授業は英語で行われると思っていたが、全てインドネシア語というのを聞いて少し心配になった。

次に住まいの相談をした。コスという一部屋タイプの下宿に住んでいるBIPAの学生もいるが、日本人や韓国人は、たいていBIPAの校舎から一キロあまり離れたところにあるワンルーム・アパートメントに住んでいるとのことである。私は実際に見に行って、気に入れば契約しようと思った。

住宅地の道路をしばらく歩いて交通量の多い片側三車線の大通りに出ると、向かい側に七階建ての大きなアパートが見えた。そのアパートを目指して、大通りを渡ろうと思ったが、車がひっきりなしに来て流れが途切れない。周辺には信号がなく歩道橋もない。横断歩道の前で五分ほど待ったが、車は停車しないどころか減速すらしない。

これでは永遠にこの道路を渡ることができないかもしれないと思っていると、インドネシア人のグループが手を上下に振りながら車道に飛び込み、一車線ずつ車を止めながら渡り始めたので、便乗して彼らと一緒に大通りを渡り切った。

アパートの入り口の右手にマーケティング・オフィスと書かれている小さな看板があった。中に入り、事務所にいた女性に英語で「部屋を借りたいと思うので詳しいことを教えてほしい」と切り出したが、彼女は私を無視して携帯電話でゲームをしている。英語でしつこく問い続けていると、奥からもう一人女性が出てきて、英語で部屋と料金のプランを説明してくれ、実際に部屋を案内してくれた。