部屋にはTVやベッド、小さな机と椅子、小型の冷蔵庫、シャワーは設置されているので、このまま生活できる。さらに建物内にはカードキーで入るようになっていて、セキュリティはしっかりしていそうである。

毎日、あの危険な大通りを渡らなければならないのには抵抗があったが、家賃三か月分を支払い、七月三十日に入居することで契約した。また、インターネット回線とTVも入居してすぐ使えるようにその場で申し込んだ。

帰りは、窓口でAC(エアコン付の電車)の切符を指定して買い、最初に来たエコノミーをやり過ごし、次に来たACにジャカルタ・コタ駅まで乗車した。その日はコタからバス専用軌道を走るトランス・ジャカルタ一号線に乗車し、終点のブロックMに向かった。ブロックMのバス・ターミナルは、いかにも東南アジアを感じさせる怪しげな地下のモールにつながっている。

地上に出て少し歩くと、あちこちに日本語の看板があり、薄汚れた居酒屋、スナック、カラオケ店、風俗店や日本の食材を置いているスーパーマーケットなどが雑然と建ち並んでいる。まさに少しくたびれた哀愁が漂う昭和の歓楽街である。ブロックMではジャカルタに駐在している多くの日本人サラリーマンたちが様々な想いにふけりながら、一杯やっているのであろう。

初めてのインドネシア訪問は、留学先を決定してからとなってしまった。今回の訪問で、多少、生活環境の違いに驚くことはあったが、私にとっては想定内で、インドネシアでの生活は問題なさそうである。これから住むデポック市は当初、ジャカルタ郊外の小都市くらいに思っていたが、人口約二百万人の大都会で、徒歩圏内に大きなショッピング・モールや大病院、多くの食堂やレストランもあり、安心して暮らせそうである。

インドネシアの洗礼

退職後一か月弱で年金や税金、失業保険など退職に関する手続きとインドネシアでも入出金可能な銀行口座の開設、身の回り品の送付など渡航に関する手続きを慌ただしく済ませ、予定通り、七月二十九日にインドネシアに入国した。前回泊ったジャカルタのホテルに一泊し、翌朝、これから住むことになるデポック市のアパートにタクシーで向かった。

ところが、到着するや否や、インドネシアの厳しい現実を思い知らされることとなった。今回入居することになった部屋に案内されると、前回訪問した時に見た部屋と違って、机と椅子がない。

 

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