【前回の記事を読む】まずはやってみよう! 「無謀だ」と何度も否定されても、事業を成功させ続ける人が掲げるモットーとは

第1章 くしろ子ども未来塾

私を後押ししてくれるのは?

また、私が何かをしたいと言った時、ただの一度も反対されたことはありません。心が大陸的なのか、「妻も一人の人格」と言って私の思いを大切にしてくれるのです。本当にありがたいことです。夫が少しでもブレーキをかけたら動きが止まってしまう私です。世間では、いくら止めても言うことを聞かず動いてしまうように見られていますが、実は全く違うのです。

夫は悪いことでなければ黙って見ていてくれる。少し方向が違っていると感じた時には、しっかり提言する。そのスタンスを貫いているのです。次に私が何をしでかすのか、面白半分で眺めているだけなのかもしれません。

趣味が仕事?と感じさせるほど一生懸命働いてきた人で、仕事には厳しいですが、家庭人としては理想の夫であり、良き父親であると思います。一生懸命働き、家族を愛し、ユーモアがあり、そのおかげで家の中は笑いで溢れていました。時には厳しい姿も見せますが、私と2人の子どもを真っすぐに導いてくれた人です。

この他にも、まだまだたくさんの人に力をいただいて今日の私がいます。一人一人からかけられる言葉が、私を奮い立たせるのです。励ましも、優しさも、お叱りも……すべてが栄養剤となり、前を見つめる活力になりました。

第2章 私の子育て

くしろ子ども未来塾をスタートさせた時、世間の人の中には会社経営に携わっていた私の行動が理解しがたく、「商売にならないことをなぜ始めたの?」「こんなことを始めてどうするの!」と厳しい言葉を投げかけてくる人もいました。我が子が無事に成長しやっと一段落したというのに、自分でもどんな情熱にかられて行動してしまったのかしらと考えたのは、この先、数年後のことになります。

当時は地方都市に住む子たちが望んでいないのに格差を受け、これが普通と思って生きていることに一人苛立(いらだ)ちを感じ、せめてこの地域に住む子たちが人間的に大きく育ってほしい、逞しく生きてほしいと思う気持ちで突き進んだような気がします。

1982年に上の娘が生まれた時、この子が大きくなる頃には女性が社会進出する中で活躍し、社会でリーダーシップをとっている時代になるのではないだろうかと感じていました。ですから、女の子を育てるという感覚で育てず、「一人の人間をどこまで大きく育てられるのだろうか?」という意識で育てました。

私自身、成し得なかったことや諦めたことの後悔を教訓に、子どもを育てながら一緒に育ってみようという気持ちを抱き、そうして実践して上手くいったことを一人でも多くのお母さんに伝えたいという思いが生まれました。それが、「くしろ子ども未来塾」の設立に繋がったのです。