本章ではそんな私の子育てにも触れていきたいと思います。

私の子育て

私は、共働きで2人の子どもを育てました。起業して数年を経た夫の会社の経理を見ており、結婚して8年間、子どもができなかったので、現場の仕事を含め総務的な業務など営業以外のことはすべて関与していました。そして、やっと事務所を建て、会社としての土台ができた頃に子どもを授かったのでした。

母は大きな病気をした後に介護が必要な状態になり、上の娘が3歳の時に他界、父は趣味が高じて東北に住まいを移し、子育てで頼れる親はいませんでした。時々私の姉が手伝いに来てくれましたが、家庭のある身、そう毎日甘えるわけにはいきません。どう両立していけばよいのか途方に暮れる日々でした。幸いだったのは、事務所の2階に自宅があったことです。

通勤時間のロスがないのでぎりぎりまで家事をこなし、昼休みには夕飯の下ごしらえまで終えることができました。子どもが寝付いた後には事務所に戻り、やり残しの仕事をすることを繰り返していました。どこかの会社に勤務する共働きよりは時間の融通が利いて恵まれていたと思いますが、自分たちで起業し会社を経営することで様々なストレスが多かったことも事実です。

経営者としての責任、社員を守らなければいけないこと、仕事上のトラブルへの対処など、どれをとっても自分を律していかなければなりません。子どもも仕事も何か問題が起きた時は待ったなし、時間との戦いでした。勿論、子どもは保育園に預けたわけですが、帰ってきてから眠りにつくまでは母親として精いっぱいのことをしました。いつも子どもが笑顔でいられるように、何があっても子どもとの時間を守りました。

夕食、入浴と済ませた後は子どもと一緒に遊び、眠りにつくまではどんなに仕事が気になっても子ども優先の姿勢だけは貫いたと自負しています。今では男の人が育児に参加することは当たり前になりましたが、当時は男の人が台所に入ることも家事を手伝うことも良しとされない時代でした。

夫は明治生まれの父親に育てられたこともあって、「男子厨房に入らず」「女は家、男は仕事」を地でいっていたのですが、さすがにこのままではどうしようもなくなり、夫婦で話し合いをしました。

 

【イチオシ記事】ずぶ濡れのまま仁王立ちしている少女――「しずく」…今にも消えそうな声でそう少女は言った

【注目記事】マッチングアプリで出会った男性と初めてのデート。食事が終わったタイミングで「じゃあ行こうか。部屋を取ってある」と言われ…

【人気記事】「また明日も来るからね」と、握っていた夫の手を離した…。その日が、最後の日になった。面会を始めて4日目のことだった。