【前回の記事を読む】地方都市の子どもでも、諦めなければなりたい自分になり、夢をかなえることができる

第2章 私の子育て

我が家のダイニングテーブル

保育園に預けることを申し訳なく思い気にする私に「親と長い時間一緒にいるから良いということではない。短い時間でもどう過ごしているかのほうが大切なのよ」と言ってくださった方がいました。

親子で触れ合えるのは夜しかない。じゃあ、夜は子どもにとって思い切り楽しい時間にしよう。親子の時間を大切にしよう。子どもが起きている間は仕事や自分のことを忘れて子どもを優先すると決めてから、心が軽くなったことを覚えています。

寝るときには毎晩、絵本の読み聞かせです。上の子の時にはしっかり読んであげられたのに、下の子の時には読んでいるうちに私のほうが居眠りしてしまい、絵本を顔の上に落としたり、本を読む声が止まってしまって子どもに泣かれたりということもありました。

このようにちょっと頼りない面白いお母さんという私の姿も、子どもをしっかりさせるのに役立ったようです。そしてそんな家族のやり取りをずっと見守ってきたダイニングテーブルは今でも、老夫婦の作業机、勉強机として存在感を放っています。

小さい時から将来何になりたいの?と語り合う

主人は脱サラで事業を立ち上げましたが、文字通りゼロ出発! 創業して2年目に友人を通じて私と知り合い、1年後に結婚。会社のことは遠慮して深く聞くことはできませんでしたが、後で知った現実は、まだまだ創業の苦しみから脱したとは言い難いものでした。

結婚して2年が経過した頃、経理として手伝うことになり入社した私ですが、現場と事務所の掛け持ちで来る日も来る日も働き詰めという日々。「人の3倍働いてやっと人並み」という主人の言葉に引っ張られ、生きていたような気がします。

商売人は時にサラリーマン以下の生活を余儀なくされ、諦めたら転落するしかありません。成功するまでは安定とは程遠いため、先ずは可能な小さな目標を立て、一つ一つ達成させ次の目標を立てるという小刻みの道のりでした。

人様がよく言う辛く厳しい日々が5年くらいあったでしょうか。ようやく会社の土台ができ始めた頃、子どもを授かったのです。仕事と子育てを両立しながらも、ビルメンテナンスという業種柄、気苦労が多かったことも否めません。

また、子どもが望まないのに親が商売をしているからと跡継ぎにし、上手くいかず、人生を棒に振ってしまった人などを見て、「子どもに無理強いはしたくない。一度しかない人生、望む生き方をしてほしい」と思うようになりました。