吉田 敦子
昭和24 年釧路市生まれ。
高校卒業と同時に上京し、専門学校に通う傍ら会計事務所
やゴルフ場経営会社などで働き経理を任される。4年後、母の交通事故をきっかけに
帰釧しそのまま故郷釧路に定住する。家業の経理を見ながらも起業を目指し、23 歳で
釧路第1号となるブティックを開業。同時に8歳から始めた日本舞踊にも再び通い始め、
翌年名取を取得する。
昭和50 年、結婚。2年後、夫の経営する会社の経理として勤務し、夫との二人三脚
が始まる。以後、家事、仕事、踊りの3つをこなす。この間2人の子供を授かり、
子育ても加わる中、様々な地域貢献にも尽力し七変化にも似た人生を歩む。
子育てを通して垣間見た、経済格差による子供たちの成長の違いに胸を痛め、夢を
諦めない子ども達を育てたいと願うようになる。
2012 年、構想から20 年近く経てくしろ子ども未来塾を開設し、現在は理事長に就
任。2017 年からは日本舞踊教室も開設し、日本文化の普及に努めている。
2017 年12 月の大動脈解離に始まり翌年心筋梗塞、2020 年卵巣癌と、立て続けに
罹患する。摘出手術を受け抗癌剤にも苦しむ中、肉体は元気になっても心が駄目
になってしまってはいけないと思い、病気前の生活に戻すことを自分に課し、空
白の3~4年を忘れさせる復活ぶり。
一度危篤宣告を受けたことから、今この瞬間をおまけの人生と思い、やり残しの
ないよう過ごしている。
やゴルフ場経営会社などで働き経理を任される。4年後、母の交通事故をきっかけに
帰釧しそのまま故郷釧路に定住する。家業の経理を見ながらも起業を目指し、23 歳で
釧路第1号となるブティックを開業。同時に8歳から始めた日本舞踊にも再び通い始め、
翌年名取を取得する。
昭和50 年、結婚。2年後、夫の経営する会社の経理として勤務し、夫との二人三脚
が始まる。以後、家事、仕事、踊りの3つをこなす。この間2人の子供を授かり、
子育ても加わる中、様々な地域貢献にも尽力し七変化にも似た人生を歩む。
子育てを通して垣間見た、経済格差による子供たちの成長の違いに胸を痛め、夢を
諦めない子ども達を育てたいと願うようになる。
2012 年、構想から20 年近く経てくしろ子ども未来塾を開設し、現在は理事長に就
任。2017 年からは日本舞踊教室も開設し、日本文化の普及に努めている。
2017 年12 月の大動脈解離に始まり翌年心筋梗塞、2020 年卵巣癌と、立て続けに
罹患する。摘出手術を受け抗癌剤にも苦しむ中、肉体は元気になっても心が駄目
になってしまってはいけないと思い、病気前の生活に戻すことを自分に課し、空
白の3~4年を忘れさせる復活ぶり。
一度危篤宣告を受けたことから、今この瞬間をおまけの人生と思い、やり残しの
ないよう過ごしている。