いろいろな職業のことを話して聞かせ、親としては社会人になった時に、辛いことや嫌なことがあっても乗り越えて逞しく生きてほしいと願っていました。
我が社は人を多く使う仕事のため、毎日どこかの現場で問題や仲間同士のトラブルが起き、逞しい精神力を持つ私たちでも流石(さすが)に耐え抜くのが大変でした。現代に育った苦労知らずの我が子には務まらないのでは? と会社の跡を継ぐことは全く望まず、他の職業の良い面を話して聞かせたのです。
中でも資格を取り、その資格で日本全国どこに行っても生きていける仕事をし、そして、社会人として地に足をつけて生きてほしいと願うばかりでした。
夫や私のように、一生懸命頑張っても人を多く雇う仕事はトラブルと背中合わせで、時としてお客様との契約破棄にまで繋がることもあります。社員が起こしたミスでも責任は経営者にあります。何度頭を下げたことでしょう。業種柄、仕方がありませんが当時は辛く感じることもありました。
どんな職業に就いたとしても社会で生き抜くのは大変なことです。子どもには自分の好きな道を歩んでほしいと心から思っていました。自分で選んで自分で決めた道ならば、躓(つまず)いたとしても誰も恨むことなく耐え抜いていける。親はその夢を側面から応援するだけです。
また、辛く苦しいことに直面した時耐えられる強い心の持ち主になってほしいと、様々な人の生き様を話して聞かせたり、諦めないで最後までやり抜く気持ちを培ってほしいと、偉人伝などを傍らに置いてあげたりしたものですが、2人の子どもに等しく影響を与えたかというと、それぞれの感受性の相違から同じではありませんでした。
しかし、下の子は上の子の影響を強く受け、言葉に出さずともいつしか同じ方向を見るようになった気がします。本人は否定するかもしれませんが、姉という身近な存在が良きお手本になっていたのではないでしょうか。
前にも述べましたが、2人を決して比較せず、本人たちの感じるままにお互いを認め合っていける関係を築けたことが良かったのだと思います。