この拳銃の欠点は重量だ。600グラムある四本の銃身を片手で持つと、ぷるぷる震えて銃口が定まりにくいのだ。

マッチョのアメリカ人なら造作もないのだろうが。カイが五間(約十メートル)先の的を外したとき、平八郎は言った。

「手で持とうとすな。体の重心を腰に据えて、腹で持つ感覚や。ほんで肩の力は抜いて、腕は地面に平行や」

ゆっくりと狙いを定め、今度は命中した。丸い鉛玉が四枚の的の一つを吹き飛ばす。この時点では欧米でもまだ薬きょうは発明されていない。前装式なので四発撃ったら銃口から火薬と鉛玉を再装填する。

隻手のカイはピストルを股に挟んで、左手だけでこの繊細な作業をこなさなければならなかった。火薬の配分は命に関わる。昨日のように配分を間違えれば暴発事故を起こし、自分の腕を吹き飛ばすこともある。

(俺の手は、もう替えがきかないからな)

さいわい、洗心洞に雇われた鍛冶職人が大量に作ってくれたので弾丸はある。訓練は進むだろう。カクメイをやるまではこの左手を大事にしよう。

おっさんを襲った時は平気で右手を囮に使ったのにな。先生に教わった通り、もう投げやりにはならず見つけた目標のために力を蓄えよう、と決めた。

意義の新たな任務は張り込みだった。場所は現在の神戸市兵庫区中之島、当時は「兵庫津」と呼ばれた商業港である。

商人や沖仲士でにぎわう居酒屋の二階を借りて、兵庫津の動きを見張った。大坂に鴻池屋をはじめとする豪商がいるように、ここ兵庫津にも「北風家」という古くから続く豪商がいる。