【前回記事を読む】「ねえ、お兄さん。寄っておいでよ」吉原で見かけたのは元妻だった。元妻の人生を狂わせたのは自分だ。見て見ぬふりをした。

鼠たちのカクメイ

平八郎がこのような現実主義者(プラグマティスト)になったのには理由がある。彼が二年前の飢餓対策本部に呼ばれたとき、町奉行たちは「仁」の心をもって事に当たれ、などと具体性のない観念論ばかりをのたまわっていた。

だが、武士たちが机上の空論にうつつを抜かしている間に、次々と餓死者が出た。平八郎は具体的に、どこそこに救済所を何軒設置し、滋養のある食べ物をどれだけ提供すべきかを割り出し実行した。

奉行を動かすために、自分が与力時代に得た情報で彼らを半ば脅迫もした。まさに「知行合一」。そこに薄ぼんやりした朱子学が入る余地などなかったのだ。

三時間ほど平八郎の講義を受け、その後塾生全員が砲術訓練に入った。カイは大塩に力の行使の仕方、すなわち拳銃の使い方を教えてもらった。

田沼意義がカイに与えたのはペッパーボックスという多銃身回転式拳銃で、多弾倉回転式(リボルバー)拳銃の前身である。

リボルバーは蓮根のような弾倉を回転させるが、ペッパーボックスは弾倉ではなく複数の銃身自体を回転させて連射を可能にする。

カイと平八郎が持つそれは銃身が四本あり四連射できる。銃口側から見ると、胡椒を挽くときに使うミル(ペッパーボックス)に似ていることからそう呼ばれる。

構造が単純なため安価で丈夫。ダブルアクションなので引き金を引くだけで発射する。そうした手軽さがアメリカのガンマンたちに受けて、西部開拓時代の大ヒット商品となった。

品余りした何挺かが極東の島国にも流れ、豪商や上級武士の手に渡ったものだろう。平八郎は知己の与力から、意義は武器商人から買い取った。泰平の世ではあくまで美術品でしかなかったが、彼らは実戦でこの胡椒挽きを使おうとしている。