「今日は気に入ったみたいやわ」グレゴールが食事をきれいにたいらげたとき妹はそない言うたし、その反対のときは、そっちの方がだんだん多く繰り返されるようになっていったが、「またみんな残してるわ」と悲しそうに言うんが常やった。

新しいことを何ひとつ自分では見聞きできんグレゴールは隣り合う部屋から漏れ聞こえる声にたびたび耳をそばだてた。声のひとつも聞こえようもんなら、すぐさま手近なドアに駆け寄って全身を押しつけた。特にはじめのうちは、ひそひそ話であっても何かしらグレゴールに関係のある話ばかりやった。

まる二日間食事のたんびに聞こえてきたのは、どないしてやってきゃええねんという相談。食事と食事の間にも同じことを話しとった。と言うのも、このありさまでは誰も家に一人でおりとうはないし、かと言うて何があろうと家を空けてはおけんので、いつも最低二人は家族が家におったから。

女中も最初の日早々──あの出来事の何をどんだけ知っとったかは分からんが──平身低頭して母親に、一刻も早うクビにしてくださいませと頼みこんだ。その十五分後には別れを告げて、クビになったことを涙ながらに感謝した。

その様子たるや、この家で受けた最も大きな恵みに感謝するが如し。さらにはどんなささいなことも決して人にはもらしませんと、求められてもおらんのにえらい顔で誓いを立てた。

さて妹は母親と協力して料理もせんならんようになった。もっともそんなに骨の折れるこっちゃなかった。なんせみなろくすっぽ食わん。一人が他のもんに食事をすすめても無駄で、「ありがとう、もうええわ」とか似たような返事しか返ってこん、そんなやりとりをグレゴールはたびたび聞いた。飲みもんにも誰も手を出さんらしい。

たびたび妹は父親にビールはどうと尋ねて、取ってくるわとまごころこめて申し出た。父親が黙っておると、遠慮させんようにと気遣(づこ)うて管理人のおばちゃんに行ってもらおかと言うものの、父親はけんもほろろに大声で「いらん」。そんでこの話はおしまい。

事件初日早々に父親は財産のありったけと今後の見通しを母親にも妹にも説明した。時々テーブルの前に立って、五年前に倒産したときかろうじて救い出した小さい金庫から、証券やらメモやらを取り出した。手のこんだ鍵を開けて、探しもんが出てきたらまた閉める音が聞こえた。

父親の説明には、グレゴールが部屋に閉じこめられてからこっち初めて聞くような吉報もあった。

   

次回更新は3月4日(火)、8時の予定です。

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