グレゴールがドアのすきまからのぞいてみると居間にはガスの明かりがともっとった。ただいつもならこの時刻は父親が夕刊を母親に、たまに妹にも声はり上げて読み聞かせる習慣なんやが、今はこそとの物音も聞こえへん。まあこの読み聞かせ、グレゴールに妹がいつも話したり手紙に書いたりしてくれとったけど、最近はまるっきりやめてしもうとるんやろう。
それにしたかて家中静かにもほどがある、空き家でもあるまいし。「なんと静かな暮らしぶりや」そうつぶやいてグレゴールは真っ暗闇を身じろぎひとつせんと見つめて、両親と妹にこんだけの生活を上等な家でさせてんのはおれやないかと胸をはりとうなった。
せやけどもし今、平和も豊かな暮らしも満足も、恐怖とともに終わる他あれへんとしたら? そんな考えで頭がいっぱいになるよりマシとグレゴールは体を動かして部屋をあちこち這い回った。
長い夜の間に横のドアが一回、反対っ側のドアも一回、ちょっとだけ開いてすぐまたバタンと閉じた。誰かがどうしても中に入りとうなったものの、あれこれと考え直したもんらしい。恐る恐る部屋を訪ねてくれた人をどないかして中に入れよう、せめてそれが誰か確かめるだけでもしようと決めてグレゴールは居間に通じるドアのそばにへばりついた。
1 すっこみさらせ……引っこみやがれ
次回更新は3月2日(日)、8時の予定です。
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