磯吉商店
「大将がトイレに行ってる間にちょっと用事を思い出したとか言うて、シンさんどっか行ってしまいました」とハルの隣で魚をさばいているシゲルが呆れた声で応えた。
シゲルはハルが結婚した次の年に高校を卒業して店にやってきた。魚が大好物のシゲルは好きこそものの上手でどんどん腕を上げていき、今ではハルが一番頼りにしている従業員だ。働き出して10年が経ち、シンより2歳上の28歳だ。
「大学では勉強は教えてくれても魚のさばき方は教えてくれませんから、シンさんももうちょっと頑張らんとあきませんなぁ。ねえ大将」とシゲルはハルに言った。
「シンは魚がさばけへんでも店の経営くらいできるって言いやがる。あいつは経営をなめているんや。魚は生臭いから嫌やって子どもの頃はひとつも手伝わんだから、あいつは何ひとつできへん。経営の前にさばくことを覚えてもらわんと始まらんわ。
俺は15歳でここへ来てもう23年魚と付き合っとる。シンが同じようにできるまでは辛抱してもらわんとなぁ。大学で勉強した分、シンは頭は切れても魚は切れんってとこや。なぁシゲル。ハハハッ」とハルは困った顔をして笑った。
ハルはそう言った後すぐ真顔になり昨日のキヨとの話を思い出していた。
「キヨさん、俺は磯吉商店から独立して自分の店を出そうと思う」とハルはキヨに率直な気持ちを打ち明けた。キヨは思いもかけないハルの言葉に度肝を抜かれて言葉も出ない。
「シンはやる気があるのかないのか嫌々仕事をしとる。俺に物を言われるのが嫌そうや」とハルは続ける。