「シンが魚をさばけるようになったら俺は出ていってもいいと思ってるんです、お母さん。どうもシンとは馬が合わんようや」

「ハルさん、あんたに出ていかれたら私が困るわ」とキヨはやっとのことで応えたが、顔は青ざめていた。

「トモと2人で磯吉商店を守っていってもらわんと。ここまで繁盛するようになったのもあんたのおかげやで、ハルさんには感謝しとるよ。ハルさんが出ていったらあかん。あんたにこの店の後を継いでほしいんや」とキヨは深く頭を下げた。

「そんなこと言ってもシンは俺が煙たいのとちがいますか」とハルはキヨの顔を覗き込んで聞いた。

「そんなことない。あんたに仕込んでもらわんとあの子もきっと困る」とキヨは懇願するように言った。

              ***

磯吉商店にはいろんな人が働きにやってきた。

板長の原さんは草津温泉の老舗旅館で15年ほど修行を積んだ後この磯吉商店にやってきた。キヨの知合いの人に世話してもらい、原さんはお見合い結婚をしてこの地に住みつき、はや18年になる。

仕事をしている時の原さんは気難しい顔をして他の板前にあれこれと指示を出しているが、空いた時間には姉サエや私に手作りのマヨネーズの作り方を教えてくれたり、私の大好物の焼き芋を焼いてくれたり、お酒もタバコも吸わない真面目で優しい人だ。家に帰ると息子に教育熱心な奥さんが厳しい人だからと仕事場で多くの時間を過ごした。

修行にきている地元の鮮魚店の跡取り息子たちは高校を卒業して間もない18~19歳で、つるんでパチンコに行って大損したりスキーに行ったりと、仕事よりも遊びに一生懸命で魚をさばきながら遊びの話で忙しい。

女性パート従業員たちは、リーダー社員の北さんの指示で洗い場と盛り付けに分かれて仕事をしてくれている。厨房のちょうど真ん中あたりの盛付け台と調理台の間の通路をみんなが右往左往して渋滞するので「磯吉商店の銀座通り」と北さんが名前を付けて、仕出し料理の注文が多い日は銀座通りが大変賑わい、注文が少ないと銀座通りが銀座でなくなるから寂しがる。