五年になると九州方面への修学旅行があったが、家の経済状態を思うととても行けなかった。旅行の間、不参加者は登校して教室で自習をする。その人数が意外と多かったので、修学旅行に行けなかったことがそんなにさみしくはなかった。
卒業と時を同じくして、学校が六三制に変わることになった。新制高校が発足するので高校三年に進む人と、女学校で卒業する人とに分かれた。卒業する人は就職活動に忙しかった。私は教師になる為の学校に進みたかったが、家のことを思えばあきらめるしかなかった。
2 山吹の花
敗戦後は深刻な食糧難だった。人の心は荒(すさ)み、飢え死に、行き倒れなど珍しいことではなかった。母親を早くに亡くした近所の子が、骨に皮ばかりが張り付いたような姿になってごみ箱をあさっていた。私の家でも徴用にとられていた父が失業し、農家の親戚に食糧を頼らねばならなかった。辛(つら)い時期だった。
終戦のあくる年の春、私は田舎の伯母の家へ行った。たけのこを掘りに行く伯母の後に従って私は野道を歩いた。青く晴れ渡った空にB29はもう来ない。辺りはあくまでも穏やかな春の野であった。ふと、行く手に小さな黄色い花を沢山つけた灌木を見つけた。近寄って私は思わず、「わあ、きれい」と声をあげた。
久しく花などを見なかった。「山吹の花よ」と伯母が教えてくれた。うららかな陽の光を浴びて、半円球の小さな花の群れは、小さな黄緑(きみどり)の葉に映えて黄金(こがね)色に輝いていた。私はしみじみと美しい花たちを見つめた。
「世の中には、こんなきれいな花もあったんだ……」それは驚きにも似た思いだった。生きることに精一杯で、ゆとりのなかった私の心に、和やかな思いがしみ渡っていった。
あれから毎年、山吹の花に出会うたびに懐かしい思いをこめて眺めてきた。戦争は昔の話になり、豊かな世の中になった今、改めて平和の有り難さをかみしめたいと思う。
今年ももうすぐ山吹の花が咲く。

【前回の記事を読む】響き渡る空襲警報、迫り来るB29…。造兵廠から逃げ惑うなかで体験した終戦前日の出来事と、忘れられない級友からのお弁当
【イチオシ記事】喧嘩を売った相手は、本物のヤンキーだった。それでも、メンツを保つために逃げ出すことなんてできない。そう思い前を見た瞬間...