バースデーソングは歌えない。

3 抱擁 〜喜美子〜

何が大丈夫なのか。その、何=対象は、さして重要ではなかった。ただ、その涙が落ちるのを、勝手な意味付けをせず見届ける存在が必要だった。

体は疲弊していたが、まだ活動範囲内だった。自分がいなければ、この会社は回らない。そう信じてきた。仕事を頼まれれば断らずにこなし、対立勢力があればその間に立って調停し、四方は溢れる感謝で囲まれていると喜美子自身は信じ続けてきた。

自己犠牲を美徳にし、一度たりとも怒ったり不満を言ったりすることもなかった。

「愛」を振り撒いているはずだった。「私」が嫌いな人なんていない、嫌われる要素がないと自負していた。だが、医者から「仮面うつ」の言葉を喰らったとき、自分はどこかで嫌われ不安を克服できていないのだと思い知らされた。

「大人」であれば、「誰からも好かれるなんて不可能だ」と諦めるだろうところを喜美子は、「自分を嫌う人間の心理を理解し、好かれるよう努力したい」とエゴイスティックに願った。自分自身とは正反対の人間を理解できたのならば、どんな相手に対しても、自分を偽り抜けると思った。それは、八方美人の具現化だった。

新宿歌舞伎町、トー横界隈にたむろする若者たち、都会の建物に挟まれた不可視の領域に寄り集まる様子が脳裏に浮かんだ。人目を気にしない者たちが、「社会」の重圧に抵抗して粋がっているイメージだ。