やはり、おかしなことになった。奉行と与力の関係を現代に置き換えると、奉行は中央のキャリア官僚で与力は地元のノンキャリア官僚である。
平八郎自身、代々大坂の与力の家柄に生まれた浪速っ子。現在のわが故郷の窮状は忍ぶに堪えない。一方の跡部は腰掛程度に考えている上昇志向の塊なのだから、最初から温度差があった。東町の奉行部屋に上げられた平八郎は、挨拶もそこそこに跡部良弼を前にして朗々と具申書を読み上げた。
「ひとつ、蔵米を無償にて民に与えること。ひとつ、豪商に買い占めを止めさせること、ひとつ……」
時間をかけて自分なりに立案した具体的な対策を逐一読み上げたのだが、跡部を窺うと頬杖をついて虚ろな目で聞いている。知己の同心に聞いたところでは、跡部は赴任以来連日連夜関係各所からの接待を受けており、昼過ぎに所内でその姿を見たことはないとか。恐らくは昨夜も深い酒席だったか。跡部の頬が拳から落ちた時、平八郎は読むのを止めた。
「お奉行はお疲れであられるようで」
そう言い捨てて、具申書を丸め始めた。
「いや、失敬。このところ夜勤が続いておりましてな」
この男、接待を夜勤と呼んでいるようだ。平八郎の目尻が上がる。
「貴公は、民が飢餓に喘ぐこの現状に心を痛めぬのか?」
「そうは申しておりませぬよ。ただ大塩殿に指摘されるまでもなく、われら東町も順次対策を整えておりましてな。来月には建議書を以て公儀に打診する所存です。何しろこれは単に大坂だけの問題ではなく一国の問題ですから、まずはお上の方策が出るまで……」
いま、来月と申したか? 平八郎が大きな眼をぎょろりと剥いた。
「それでは遅い! こうしとる今も死者が出とるんや。急がな手遅れになるんがわからんのかい、ボケ!」
もはや無用の丸めた具申書で跡部をポカリとやった。跡部は同心たちの目の前での無礼に顔を真っ赤にする。