第五条、木で作ったように微動だにしない鶏は相手に全く敵意すらうかがわせない。「無心で他に対することが、万事を処理し困難に打ち勝つ最上の方法」と解説してあった。

蛇ののたくったような御誓文、必携する黒革の手帳に貼っておくことにしよう。この五か条は人生の要所要所で羅針盤となり、生き続けていく。五年後に、これが心の師匠の「遺言」となってしまうとは……。

金言を何度も読み返すうちに、神の啓示のように二冊の文学作品が脳裏に去来した。小学校六年生のとき、母美智子の姉佐多松子に与えられた山本有三の小説『真実一路(しんじついちろ)』と、高村光太郎の詩『道程(どうてい)』だ。

小学生以来、習慣となっていた読書感想文にはこう記していた。

「真実一路の旅なれど真実、鈴振り、思い出す」。北原白秋のことばが冒頭に出ていた。「真実一路の旅をしたのは、あまり、できのよくない義夫くんと、きびしい父、不幸な母だったと思う」「母の死を知らない義夫くんは、落第しても、運動会で選手になり、けんめいに走っている。ジーンときた」。

疾走している義夫のまなざしに、姉のしず子はきらっと母のおも影を見た。彼の前には一筋の白い路があるだけだった。猛烈なラスト・スパートを出した――読んだ当時、同年代の主人公は父と母を亡くす。父の遺書には姉弟を想う情愛がにじみ出る。母のそれには「母おやであることはなかなかできることではありません」と真情を吐露(とろ)していた。

呻吟(しんぎん)しようが傷つこうが「真実一路」の人生を歩みたいと夢見た青雲の志を呼び覚ます。

 

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