その一:天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行く(孟子)
その二:正々堂々(孫子)・雄気堂堂(岳飛)
その三:天上天下唯我独尊(釈迦)
その四:蔵鋒(ぞうほう)を貴ぶ(書道の極意)・話すことの二倍、人から聞くべきである(デモステネス)
その五:木鶏(ぼっけい)に似たり(荘子)
泥酔しながらも深夜、書斎に籠って万年筆で便せんに書きなぐっている姿が脳裏に浮かぶ。面と向かって説教するのは面映ゆかったのだろう。本棚の奥から分厚い「中国古典名言集」を引っ張り出す。足りない分はネット上の百科事典が補ってくれる。
のっけから、論鋒(ろんぽう)鋭い孟子のおでましか。仁・礼・義が「大丈夫」の生き方だと説く。
二番目の孫子は「正を以て国を治む」、つまり天下を治めようと思うならば、正々堂々の道を歩めと言っている。「雄気堂堂斗と牛(ぎゅう)を貫く」はずいぶん勇ましい。北斗星、牽牛(けんぎゅう)星を貫くほどにすさまじい南宋の武将岳飛(がくひ)たれということだろう。
明治の実業家渋沢栄一を描いた城山三郎の小説の題名は『雄気堂々』だった。三番目は「暁(あかつき)の反省会」でさんざん聞いた。
第四条は書道の極意と古代ギリシアの政治家の金言。木に竹を接(つ)いだかのようだ。前段は筆先の鋭さを蔵(かく)して現わさない、あたかも泥や沙(すな)の中に描くようにしろ、後段は「話すことの二倍、人から聞くべきである。なんとなれば、神は舌を一つ、耳を二つ与えたのだから」という箴言(しんげん)だ。