はじめに

この本を手にしてくださった方に厚く感謝申し上げます。

「塾長から高校・大学野球部や大学庭球部の日本一を紹介していただく。こうして、連綿と社中の絆が受け継がれ、歴史と伝統が紡がれてゆく。塾長のお話を聞いてこう決意した。次作の第一章は塾高優勝にしようと」

――これは、一八九八(明治三十一)年の創刊から百年以上の歴史ある慶應義塾の機関誌「三田評論」に寄稿した拙文の末尾です。二〇二四年三月号の巻頭随筆「丘の上」に掲載させてもらいました。

執筆のお題は、私の慶応義塾高校野球部の思い出と、拙著「三代の過客」執筆の経緯です。二〇二三年夏の甲子園で百七年ぶりに優勝した母校野球部と、同年十一月に上梓した著書にまつわる駄文を綴りました。

中国古代五経の一つ「礼記(らいき)」を援用すれば、綸言(りんげん)汗の如し。いったん活字にして世に出してしまったら、「あれは勢いで書いちゃったんです」とごまかしは通じません。自ら退路を断って、第二作は母校の優勝とワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を三世代一緒に観に行ったことから書き起こすことに決めました。

「この二つの決勝戦を祖父と父母と子がそろって観戦するっていうのは、百年に一度あるかないかだよね」と語らったものです。二〇二四年秋には、ドジャースが制覇したワールドシリーズを三世代一緒にテレビ観戦するという夢も叶いました。

前作は賛否両論でした。「重厚で知性と教養あふれる力作」と評価してくれる知人は少なくありません。その一方、「長すぎて読み切れない」「難解な表現が多い」「脚注とコラムがうっとうしい」など、いまだに高校野球部同期会で非難轟々(ごうごう)です。

「重い、長い、読みづらい」と牛丼チェーンのうたい文句の逆張りのような声をたくさん頂戴しました。今作はその三重苦の軛(くびき)を取り払ったつもりです。