第一章 一年発起 〈二〇〇五年夏〉大山胖、編集主任に
しきりと、父の口癖を思い起こす。
曰く――「寧ろ燕雀(えんじゃく)と翔(か)けるも、黄鵠(こうこく)に随(したが)って飛ばず」。大きな羽を広げて天空にはばたく白鳥より、燕や雀と一緒に飛んでみるか。
曰く――「寧(むし)ろ鶏口(けいこう)と為(な)るとも牛後(ぎゅうご)と為る無(なか)れ(※1)」。今の新聞社で老いぼれた牛のしっぽにしがみついていても、時代の流れという遠心力で吹き飛ばされるのがおちだ。小さな組織でも挑戦できる「主任」の方がいくぶんかましか。
「秦」に吞み込まれた「籠の鳥」でいいのか、燕や雀と一緒に「貧者の一灯」を手に、清水(きよみず)の舞台(ぶたい)から飛び降りてみるか――。
付和雷同、右顧左眄、鶏口牛後……。古人の成句(せいく)を胸に一念発起(いちねんほっき)して、華麗なる転身にはばたく好機かもしれない。おりしも古巣では、編集から経営企画部門への異動を露骨に打診されていた。この会社では打診イコール内々示だ。
編集にいたいと駄々をこねても、「出世コースに乗るんだから、もって瞑(めい)すべしだろ」と一蹴(いっしゅう)する上司。
少し考えさせてほしいと言うと、「俺の言うことがきけないか。内々示の拒否ということでいいんだな」とすごむ。しまいには執行猶予一週間という期限つきの最後(さいご)通牒(つうちょう)をつきつけてきた。
人生の切所(せっしょ)で舞い込んできたスカウト話。運命論者ではなくても、世紀の変わり目が「天の時」をもたらすのかもしれない、と心が動く。鷲尾総帥とその幕僚たちは今はやりのインターネットの申し子だ。データ解析や画像処理にも詳しい。「地の利」は感じる。あとは、やっかいそうな総帥との「人の和」。これはすこぶる高いハードル、厚い壁として残った。
記者仲間から漏れ伝わる周辺情報は「ネガティブ」。きわめて後ろ向きだった。黒革の手帳に殴り書きされた風説・風聞・流説・風評・流言、果ては醜聞の数々――。
風説一:小学校、中学時代は「山口の神童」。生徒会長に立候補するも、偏狭(へんきょう)な性格からか、あえなく落選。いじめにあっていたという傍証もある。