第一章 一年発起 〈二〇〇五年夏〉大山胖、編集主任に

「おまえ、飛び加藤って知っているか?」「なんですか、藪から棒に? 加藤さんの親戚とか?」「ばかだな、戦国時代の伊賀忍者だよ。司馬遼太郎の小説に出てくる」と言って講談が始まった(※1)。

「へー、飛び加藤のとっくりから人形が転がり落ちて踊り始める?」と、酒器を傾けようとする胖に、「ばかだな(とこの日何度目だろう)、おまえ一人の力でいったい何ができる? でかいヤマを当てようと思ったら、ちっとは人間関係を大事にしろ。こざかしい術技を振り回すな」と肩を叩く。

後年、この先輩の「おこごと」が得難い叱咤激励(しったげきれい)だったと思い知る。何度も思い返し、かみしめることになる。圭角(けいかく)が次第に丸みを帯び、尖(とが)った部分が練れていく。これは成長なのか、妥協なのか、それとも堕落なのか。人生行路の交差点で二人が再び出会うことになるのは、その数年のちのことだ。

ようやく大将の残臭(ざんしゅう)が消えうせた喫茶室で、十年以上さかのぼる「暁の反省会」のやり取りを反芻(はんすう)してみる。なぜか、幼いころ父・立志(たつし)の決め台詞を心のなかで咀嚼(そしゃく)していた。

一つは論語の「子路篇(しろへん)」に出てくる孔子の教えだ。松本清張の小説を読んで以来愛用している黒革の手帳に「子曰、君子和而不同、小人同而不和=子曰く、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。(※2)」の文字がある。

付和雷同(ふわらいどう)するなと、父は自らを戒(いまし)めてだろう。何度繰り返したかしれない。もう一つが「右顧左眄(うこさべん)せず」という戒めだった。

これらの文言が胖の行動様式に反映してきたのは確かだ。自分なりの解釈が行き過ぎを生んで自縄自縛(じじょうじばく)に陥っているのだろうか。コーヒーのお代わりを注文して、タバコに火をつける。さてと、せっかくだから事業計画と労働契約書に目を通すか。