風聞一:高校時代は登山にのめりこむ。「山なんかに登っていないで東大に入れ」と繰り返す父。念願がかなったと思いきや、「山口の神童」は「ただの人」になった。全国から集う同級生はおしなべて「天才」に見えた。勝てない。山登りを禁じられた「お山の大将」は、いたく落ち込む。
流説一:「大蔵省の主計局に入れ」と強く勧める父親は、地方自治体の幹部。毎年末、予算取りの陳情に霞が関を訪れるたびに、きまって機嫌が悪くなる。一人息子は嘱望(しょくぼう)の重圧にあえぐ。難関の中央省庁に入ったのに、父からは残酷な一言(ひとこと)。「MOF(モフ)でなくて失望したよ」。MOFは律令時代から千三百年続いた大蔵省のこと。二〇〇一年の省庁再編で財務省と金融庁に分かれた。
風評一:役所ではIT関連の先進技術育成を目指す部署で頭角を現す。三年で辞めたのは、なんらかのスキャンダルに巻き込まれたのではないかとの憶測しきり。
流言一:立ち上げたベンチャー企業はダボハゼのように、傾きかけた会社を合併・買収してきた。冷酷、悪辣などの悪評に耳も傾けない。苗字をもじって「腐肉あさりのイーグル将軍」。私淑するのはジュリアス・シーザーと斎藤道三、織田信長。座右におくのは孫子の兵法やマキアヴェリの「君主論」。手法を選ばない彼の覇権主義は「権力と金力のヒト」とみなされがちだ。「法すれすれ」、もっといえば「塀すれすれ」の男との異名を持つ。
醜聞一:秘書の椎名百合とはきわめて親密らしい。きっと、できてるぜ。もちろん、外野から眺めた、やっかみ半分の妄想交じりだけに、全幅の信頼はおけない。「バルちゃん」との昵懇(じっこん)の仲はさておくとしても、父親との軋轢(あつれき)、ある種の劣等感、権力志向が彼の行跡から読み取れる。最悪シナリオは「法すれすれを侵し、塀の内側に転落する」ことかもしれない。
1 「鶏口牛後」は「史記」に出てくる蘇秦(そしん)の言葉だ。中国の戦国時代は七か国が「合従連衡」の外交政策をめぐって、しのぎを削っていた。圧倒的に強い秦に敵対するか、手を組むか。南北に連なる趙・韓・魏・斉・楚・燕の六国が縦の連盟を結ぼうというのが蘇秦の「合従」策。かたや、張儀(ちょうぎ)は六か国が個別に秦と横に同盟していこうという「連衡」を提唱する。歴史は後者を選んだ。
【前回の記事を読む】「おまえ一人の力でいったい何ができる? でかいヤマを当てようと思ったら、ちっとは人間関係を大事にしろ。」